Ⅷ.砂漠の行軍
春ノ暑サニモマケズ、夏ノ暑サニモマケズ、
秋ノ暑サニモマケズ、冬ノ暑サニモマケズ、
カンカン照リノ太陽ニモマケズ……、徒歩デ砂漠ヲ歩ク苦行ニモマケズ…………、
「って無理だよ、ケンジ先生!」
天を仰げば、青いカーテンと、一点の白い染み。
大地を見渡せば、延々と敷かれた黄金色の絨毯。
体感温度は五十度を超えているのではないかと思えるぐらい、わたし達は砂漠の酷暑を心ゆくまで味わっていた。
「ふふ、これしきのことで音を上げるのは早いぞ、勇者。これも大魔王を倒すための修行だと思えば…………すまん、無理だな」
ですよね……。
後ろを歩く戦士も、さすがに苦しそうだ。
「ほんと暑くて熱いわよね……、目玉焼きの気持ちが分かるわ」
最後尾にてプカプカと浮遊する釣竿袋に乗りながら付いてくるマホツカ。一番楽そうなはずなんだけど、光を吸収する黒色のローブのせいで、一番バテ気味だった。
別の服を着た方がいいんじゃないかと、出発の前に注意をしたのだけど、当の本人が頑なに嫌だと意地を張るので、そのままだ。そこまで拘る理由が知りたい。
しっかし、本当に熱い。しかも砂地って想像していた以上に歩くのが大変だ。砂に少し埋まる足を持ち上げるのがボディブローのようにジワジワと効いてくる。加えて小高い砂丘を登っては下ってのアップダウン続きなので、疲労がハンパない。
え、ラクダは? 《砂ボコチョ》がいるじゃないかって? はっはっは、実に面白いジョークだ。そんな便利なもの借りる金なんてねーんだよ!(切実)
ああ、この広漠とした砂漠のどこかに、本当に目的の《ピラミッド》はあるのだろうか。もしかしたら騙されたのかと思わざるを得ない。
しかし、僧侶ちゃんのためにも、ここは暑さに耐えて頑張らなくてはならない!
「私の運が、もう少し鍛え上げられていれば、こんなことには……」
「あのカレーオーナー、いつか覚えてなさいよ……」
さて、なぜわたし達三人は《東遊記》でもないのに砂漠をピクニックしているのかと言いますと、話は簡単、カジノのオーナーとの勝負に負けたからである。
『戦士&マホツカVSオーナー』の対決種目はポーカーだった。
先の展開が読めない激しいバトルだった――というわけではなく、ゲームはさざ波のごとく坦々と進行していった。
オーナーは、別段イカサマな強さでもなく、最後にありえない一発大ドンデン返しがあったわけでもなかった。戦士とマホツカを、真綿で首を絞めるような感じで、徐々に徐々に、しかし着実に二人のチップを削っていき、そして勝利を収めたのだ。
戦士は終始オーナーのブラフを警戒してか、すぐにフォルドしてしまう超慎重派。マホツカは逆にがんがんレイズしまくって痛い目を見る超特攻派。そんな協調性の欠片もない二人が、トランプゲームに於いての『戦い』を知り尽くしたオーナーに勝つには、運以上に経験値が《ヘヴィメタスライム》百匹分は足りなかった。
それでこの顛末である。
勝負前の約束通り、わたし達はオーナーの頼み事を遂行する羽目になったのだ。
内容は、なんでもゼガスの北に広がる未開拓な砂漠地帯に、伝承に伝わる伝説のピラミッドが存在し、そこに眠ると伝わる幻のレアアイテム《黄金の爪垢》を取ってこいというのだ。
『伝承の伝説の幻のレア』って、もはやそれ存在しないって宣言してるだろ。あのおっさんはどこぞの月のお姫様なんだよ。そんな秘宝は皮肉屋のドレイクさんか、貨物会社のジョーンズさんに依頼してほしいところだ。
文句は止め処なく出てくるが、約束は約束だ。取ってくれば負けた分のお金は返してくれると言うし、ピラミッド探索のための資金をちょっとだけ工面してくれたので、根っからの悪人だとは思えない。
だがしかし! 一つだけ絶対ゼッタイぜえぇぇぇったい許せないことがある!
「はあ、はぁ…………そ、僧侶ちゃ~~~ん」
そうなのだ、今わたし達は、わたしと戦士とマホツカの三人しかいないのだ。一人メンバーが減ってしまうと、なぜだが前衛的なパーティー構成になった気分がするけど、そんなことはどーでもいい。
と・に・か・く、僧侶ちゃんがいないんだよ!
なぜならば、要は担保にされてしまったからである。まあ、普通はそうするよね、わたし達が約束を破棄して逃げるかもしれないし。
僧侶ちゃんがパーティーから抜けてしまったのは様々な面で痛手だ。回復の支援を得られないのは当然のこと、博学多識な常識人を失ってしまった点も挙げられる。
そして何よりも、心の癒しがなくなっちゃったんだよ(ここ重要)。わたしの生命活動を維持する『僧侶ちゃん成分』が補給できないのだ! 暑さで水分を失って脱水症状を起こすか、僧侶ちゃん成分が不足して魂が干上がるか、どちらが先となることか。
くそぉ、あのおっさんも、僧侶ちゃんを人質にするとは、やはりロリコ――、
「ん? 何だあれは?」
ざくざくと足跡を砂の大地に残していくわたし達一行の前に、突如として巨大な三つの穴が目に入ってきた。なんぞ?
「不気味な穴だね……、一応迂回しよう」
「そうだな、何かの罠かもしれん」
直径が十メートル以上はあるサンドホールの深さは遠くからではまったく分からない。測るにしても近づくのは危険なので、無難にスルーするのがベターな選択だ。宙に浮くマホツカは暑さでくたばっているのか、特に文句を漏らさなかった。
「ところで勇者、《砂の大陸》という本を知っているか?」
穴を避けて歩いているところで、戦士が思わぬ話題を振ってきた。
「戦士もあのファンタジー小説読んだことがあるの?」
「ああ、かなり昔のことだがな」
おおっ、これは意外な事実だ。戦士の性格からすると、武術書の類や精神論がテーマの堅苦しい本ぐらいしか読んだことがないと思っていたからね。まさか娯楽小説などを普通に読んだことがあったとは。
「名作だよね、あのストーリーは。砂漠でしか採取できない《デザートスパイス》を巡って、三大王家が戦争を引き起こす辺りとかいいよねー」
「ああ、特に砂漠での戦闘描写がすばらしかった。何度も読み直しては砂浜に行って実践したことは、子供の頃のいい思い出だ」
…………なぜそうなる。
普通に小説議論をしようと夢見たわたしがバカだったのか、はたまた戦士の感覚がズレているのか。
「それで、どうしてあの小説の話を? やっぱ砂漠だから?」
「いや、ふと思い出したことがあってな。あの小説には実は面白い逸話があるんだ」
逸話?
「当然のこと砂で覆われた大陸は想像上の設定なのだが、中盤以降に登場するアノ砂漠のモンスターに関しては、筆者の実体験が元になっているらしいんだ」
アレ、か。
「初耳だね。筆者のジョークか何かじゃないの?」
水も食料も乏しい砂漠に、どうやったらあんな巨体なモンスターが棲息できようか。
「私も最初はそう思ったんだが、いろいろと調べてみると…………」
「? どしたの戦士、余所見なんてしちゃって…………」
!!!
それは、いた。
三つあった穴の一つから、うねうね動く薄砂色の太い柱のような肉体が出現していた。その先端を見ると、目も鼻もない顔が、たくさんの牙を生やした大口を開けてこちらを威嚇していたのだ。話に夢中になっていたため気付かなかった。
「……もしかして、コレ?」
「……もしかすると、コレだな」
サンドワームが 現れた!
砂漠と同化した体はととととにかくデカかった。キング系モンスターをもひと呑みできそうな大きな口を、太陽を食べるかのように天に向ける。
『ウウウウウゥゥゥゥボォ』
じゅるじゅるとヨダレを垂らしているのは空腹だからですかね……。
「やはり本当に実在していたのか。私は今、猛烈に感動している!」
そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ! 敵だよ敵、モンスターっすよ。しかもメッチャ強そうなんですけど。
「マ、マホツカ、ドカンと一発お願い!」
いつもこの手のケースはマホツカに任せちゃっているけど、いいよね?
「…………」
あり? マホツカさ~ん。
「どうしたマホツカ、暑さに負けている状況ではないぞ!」
サンドワームを凝視しながら顔を青くするマホツカ。
「まさか暑さで魔力切れとかないよ……ね?」
「…………ち、違う」
「何が違うんだ?」
「ダメ、なの……よ」
へ?
「何が?」
「何がって、虫よ! 虫に決まってんでしょ!!」
「「虫?」」
確かに、サンドワームは小説の描写同様にどこか芋虫っぽいよね。胴が長くて、うねうねしているし。名前もワームって付いているぐらいだから、そうなのだろう。
でもさ、ここまで大きくなると、もはや虫とか関係なくなるようなレベルな気がするんだけど。まあ、気持ち悪いのは悪いけどさ。
「昔キャベツ買ってきたときについてたあのイモムシ、成長したらキレイなチョウになると思っていたのに……毎日エサあげてたのに……何で、何でガになるのよ! 朝起きたらワタシの顔に張り付いて…………ギニャーーー!!」
あーあ、自分でトラウマスイッチ押しちゃったよ。
『ウオオオオオォォォァァン』
耳をつんざく唸り声を上げる砂漠の巨獣。周囲の砂丘が振動で崩れる。
や、やばそうな雰囲気だ。
「戦士、ここは逃走するよ!」
「くっ、こいつと戦えないのは残念だが、ここはそれが最善だな。僧侶がいない状態では、不要な戦闘は避けるべきか、?」
サンドワームは口を天からわたし達へと向けた。喉の奥まで針みたいな尖った歯がびっしりと生えているのが確認できる。
「こ、これは……」
「ま、まさか……」
『ウウウウウゥゥゥゥンオオオオオ』
無風だった灼熱の地に、突風が局地的に吹き荒れる。それは自然の現象ではなく、サンドワームが食事をするためにわたし達を吸い込もうとしているのだ。
「ま、まじですかー!」
辺り一面しがみつける物など一切合切ない。
サンドワームは砂を飲み込むことなど気にせず、吸い込みの勢いを強めていく。
このままでは呑みこまれてしまうと考えが行き着いた瞬間、わたしと戦士は揃ってマホツカの釣竿袋を掴んだ。
「イモムシ……ガ……イモムシ……ガ……イモ、って何やってんのよ!?」
「このままでは奴に吸い込まれてしまう」
「マホツカ、全速力で飛んで逃げてよ!」
アトモスさんやダイスンさんも驚きの吸引力。じりじりと口が近づいてくる。やべー!
「うがー、バカ! 定員オーバーよ!」
「そこを何とか!」
「早くするんだ、食われるぞ!」
そのセリフがトラウマに塩を塗ることになったのか、マホツカは意を決した表情となり、確認と同意の視線をわたしと戦士に向ける。
「虫に食われるなんて最悪だわ! いいアンタたち、死にたくなかったら、ゼッタイに手を放すんじゃないわよ!」
放すものですか。
「そんじゃ、いくわよ!」
マホツカは釣竿袋に座り直すと、車掌さんよろしく腕で前方を指し示した。
「生き残った選ばれし者の勇気よ、イモムシモンスターからの解放を約束せよ!」
ただの逃走なんだから、そんな大仰な言葉にしなくても。
「点け! 《イグニッション・ファイアボルト》!!」
へ――えええ――あああああ――ぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!!!!
釣竿袋の後端に炎が灯ると、雷のごとく初速度イコール最高速度な勢いで爆進する。
三人を乗せた釣竿袋は、サンドワームの吸い込みを事も無げに振り切った。
「やった、モンスターが完全に見えなくなった!」
無事自由への逃走に成功した。
さすがはマホツカ、そこにシビレる、憧れ……は審議中。
「マ、マホツカ、もう止まっても大丈夫だよ」
空気の壁が顔に当たって非常に痛い。そろそろ限界だ。
「…………」
あり? マホツカさ~ん。
「どうしたマホツカ、モンスターはもういないぞ」
前方に顔を固定させたまま顔を青くするマホツカ。
「まさか止める方法を忘れたとかないよ……ね?」
「…………ち、違う」
「何が違うんだ?」
「ダメ、なの……よ」
へ?
「な、何が?」
「何がって、止まることよ! この魔法は効果が切れるまでこのままなの!」
「「な、何だってー!?」」
砂塵を巻き上げながら爆走するホウキ星ならぬロッドスター。強烈なGに骨が悲鳴を上げる。
「い、いつまでかかるの!?」
「少なくとも十分以上よ! 嫌なら手を放しなさい!!」
いやいやいや、いくら柔らかい砂地だからって、この速度で落下したら骨の一本や二本ぐらい折れちゃうって!
「なぜ前以って説明しなかったんだ!」
「あの状況じゃ、そんな暇なかったでしょーが!」
「マホツカ! 前! 前! 砂丘にぶつか――」
「「「ぎゃーーーーー!!」」」
モンスターと戦闘するも逃走するも、どちらも命懸けすぎる。