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厄介な世界。最低な結婚。最高の人生。  作者: 空琴累音


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ep.3 出会い

 城塞が見えたのは、昼をいくらか過ぎてからだった。

 冬の光は薄く、遠くの輪郭ばかりを白く浮かせている。馬車の窓越しにそれを見つけたとき、私は思わず息を止めた。


 エヴェルデナ旧城塞。


 人と魔のあわいに築かれた、古い石の城塞。

 もっと荒れ果て、もっと露骨に戦の残骸めいたものを想像していたのに、実際に見えたそれは妙に取り繕われていた。


 外壁は古く重いまま、冬の空を押し返すように高い。門楼も塔も、かつて敵を拒むためだけにあったのだろうと一目で分かる堅さを残している。けれど、その石の上に掛けられた旗や、門まわりへ無理に添えられた飾り布や、意味もなく金を打っただけの紋飾りが、いかにも後から貼りつけられたように見えた。


 祝うための飾りではなかった。

 ただ、祝う場らしく見せるためのものだった。


 馬車が速度を落とす。前を行くクロアライトの騎兵が手綱を引き、列がゆっくりと門前に整えられた。私は外套の前を少しだけかき合わせる。窓越しに見える門は大きく開いていたが、歓迎のために開かれているようには見えなかった。


 ただ、物を置いていくために口を開けているようだった。


 門衛の姿はない。

 出迎えの列も、司祭も、礼官も、祝いの言葉を告げる者もいなかった。


 車輪が止まる。

 やがて扉が開き、クロアライトの使者が外から声をかけた。


「到着しました、アルシエラ殿」


 私は頷き、馬車を降りる。石畳へ足をつけた途端、冷えが靴裏からまっすぐ上がってきた。空は朝から変わらず曇っている。日が傾いている分、むしろ色は薄くなり、要塞の石と空の境目さえ曖昧だった。


 見上げた門の先は暗い。通路のように奥へ続いていて、その向こうに外庭らしきひらけた場所がかすかに見える。


「ここより先は、互いに不可侵の領分となります」


 形だけ整った声だった。


「道中の護衛は、これにて」


「ご苦労さまでした」


 私がそう返すと、男は一礼した。礼は浅くも深くもない。長旅を無事終えた安堵だけが、その背にわずかに見えた。


 思った通りだった。

 婚姻は建前であり、その建前すら最後まで演じる気はないのだろう。


 騎兵たちは手際よく隊列を返し始めていた。嫁入り道具を積んだ馬車だけが門前に残される。馬二頭も外されぬまま、鼻息を白くしながらその場で足を鳴らしていた。中へ運び入れる者もいない。まるで配達物を所定の場所へ置いたら、それで終わりだと言わんばかりだった。


 私はしばらくそれを見ていた。

 腹立たしい、というより、妙に納得してしまう。ここまで来れば、もう誰も私を「花嫁」として扱う必要はないのだ。人の領域から運び出した時点で、役目は済んだのだろう。


 ほどなくして、馬蹄の音が遠ざかり始めた。

 クロアライトの旗も、白い外套も、曇天の下へ吸い込まれるように小さくなっていく。やがて見えなくなる頃には、残されたのは城塞の外門と、馬車と、馬と、私だけだった。


 風が抜ける。

 布幕が壁に打ちつけられ、ぱたぱたと乾いた音を立てた。


 ひどく静かだった。


 私は馬の手綱へ手を伸ばす。二頭とも落ち着かない様子ではあったが、暴れるほどではない。王都からここまで運ばれてきたのだ。人よりよほど事情を飲み込み、諦める術を知っているのかもしれない。


「行きましょう」


 誰に言うでもなく呟くと、馬は白い息を吐いた。

 片側ずつ手綱を取り、馬車を引く。花嫁衣装の裾が石に擦れ、剣の鞘が脚に当たって揺れた。


 自分でも妙な姿だと思った。

 花嫁には見えない。生贄にも見えない。

 強いて言うなら、どこか遠い辺境へ赴く女騎士のようだった。


 外門をくぐる。

 冷えた影が頬を撫でた。


 外から見た以上に、エヴェルデナ旧城塞は広がりを持っていた。

 外門の先には石畳の広い外庭があり、その奥に城の正門が見える。左右には兵舎だったらしい長い建物が並び、奥には崩れかけた塔が何本も立っていた。外庭というより、軍勢を抱えるための腹の広い空間だ。今は誰もいないせいで、その広さばかりがやけに目立つ。


 空虚だった。


 だが空虚なだけでもない。人の紋章を模した織布が壁に掛かり、その隣には魔族の意匠だろう、角や翼を象った金具が打たれている。古い礼拝堂めいた建物には白い花が並べられていたが、その花瓶は黒鉄で、脚には獣の爪のような細工があった。

 人のものと魔のものが並んでいるのではない。互いの知らぬものを、とりあえず隣へ置いてあるだけだった。


 馬を引きながら、私はゆっくりと石畳を進む。

 足音は小さくない。馬蹄の硬い音が空の城塞に反響し、遠くの壁へぶつかって返ってくる。誰かが出てきてもよさそうなものだったが、しばらく進んでも人影はなかった。

 この城塞は、人と魔のあわいにあるというより、そのどちらからも半歩ずつ退いた場所に思えた。だからこそ使われたのだろう。


 外庭を進んで行くうちに、向かい側の外門の下に、影が見えた。


 最初は人だと思った。いや、人に似たものだと。こちらへ歩いてくる足取りは静かだったが、迷いはない。背丈は高くない。それでも、子どもの歩き方ではなかった。軽さではなく、地を踏むたびに確かな重みがある。


 距離が縮まる。

 冬の薄明かりの下で、その輪郭が少しずつ形を持ちはじめる。


 先に目についたのは衣装だった。濃い色の布に金の刺繍。上質で、華やかで、ひと目で高位の者のために用意されたものだと分かる。だが妙に馴染んでいない。着こなしていないというのではなく、衣のほうが先にあり、その中へ無理に立たされているような、そんなちぐはぐさがあった。


 次に見えたのは髪。

 それから、頭の横から後ろにかけて伸びる二本の角。


 人ではないのだと、そこでようやく理解する。

 けれど、書物の頁で見てきたような異形とは違った。牙を剥き、血を啜り、禍々しさを誇る怪物の姿ではない。むしろそうした絵姿から威嚇だけを抜き取り、そのまま沈黙の中へ立たせたような、静かな魔族だった。


 少女、と呼んでしまえそうな顔立ちだった。

 だが、その呼び方だけでは収まらないものがある。細い。若い。そう見えるのに、弱くは見えない。あの身体の奥には、私の知らない種類の力が沈んでいるのだと、説明もなく分かってしまう歩き方だった。


 私は足を止める。

 馬もつられるように止まった。


 向こうも、数歩ぶんだけ歩みをゆるめたように見えた。

 こちらを見ている。こちらも見返す。


 これが魔王であるはずがない、と最初に思った。


 魔王は男だと、誰もが言っていた。少なくとも私の知る書物も、噂も、戦の祈りも、敵を語るときはいつもそうだった。先代がそうであったように、次もまた男の魔王が座に就くのだと、疑う者はほとんどいなかったはずだ。


 それに、仮にも魔王であるなら、一人でこんなふうに歩いて来るだろうか。

 従者もなく、迎えの列もなく、あのように場に馴染まぬ衣を着せられたままで。


 だが、では侍女か使者かと言われれば、それも違うように見えた。

 立ち方が違う。顔の向け方が違う。命じられた役目だけを運ぶ者の静けさではない。もっと近いところにいる者の、それでも居心地の悪さを隠しきれていない沈黙だった。


 娘だろうか、と一瞬思う。


 あるいは妹か。近しい血を引く者か。

 そうした立場の者なら、この妙な不釣り合いにもいくらか説明がつく気がした。華やかな衣。場に似合わぬ孤立。まだ若い顔立ち。どれも、祝宴よりは、もっと別の、断りにくい場へ引き出された者のように見える。


 風が吹き抜ける。

 外壁の飾り布が揺れ、石の床へまだらな影を落とした。相手もまた、こちらを見ていた。

 その視線はまず剣へ落ち、次いで私の衣装へ移り、それから馬車と馬へ流れた。

 その順番が、少しだけ妙だった。

 花嫁を見る目ではない。

 そう思って、私はかすかに眉を寄せる。


 では何を見るつもりの目なのかと問われれば、うまく答えられなかった。警戒とも違う。値踏みとも違う。ただ、目の前のものをどこへ納めればよいのか決めかねているような、そんな視線だった。


 それはたぶん、私も同じ顔をしているのだろう。

 互いに互いを測りきれない居心地の悪さ。

 その食い違いだけが、言葉にならぬまま残る。


 やがて互いの距離は、声を届かせるには十分で、無言を保つには近すぎるところまで縮まった。

 私は馬の手綱を持ち直し、相手は数歩手前で立ち止まる。


 近くで見ると、思っていたより幼い。

 だが目の色は幼くなかった。昏く澄んだ色をしていた。冷たいわけではない。ただ、何をどう見ればよいのか、自分でも決めきれずにいる者の目だった。見開かれているわけでも、伏せられているわけでもなく、ただ静かに、こちらをそのまま映している。


 ひどく場に似つかわしくないのに、場から追い出されてもいない者の目だ、とふと思う。誰かが先に名前を決め、その中へ身体だけ押し込めたような、ちぐはぐさが残っている。それは衣装のせいばかりではないのだろう。


 私は一度だけ、唇を湿らせた。


 冷えた空気の中で、最初に言葉を選ばなければならないのは、どうやら私らしかった。

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