ep.14 嫁入り道具
北門の脇に置かれていた箱を暖炉の部屋まで運び込んだ。
私は小さな箱を卓の脇へ下ろし、レディヴィアは大きいほうを床へ静かに置く。黒い金具の打たれた木箱は、人の側のものより頑丈で、飾りが少ないぶん余計に重く見えた。縄は粗く、蝋封は片側が潰れたままだ。
暖炉の火はまだ保っていた。赤い光が箱の角を鈍く照らし、その木肌に残る赤黒い筋だけを妙に濃く浮かび上がらせる。
「……開けますか」
私がそう言うと、レディヴィアは少しだけその跡を見下ろし、それから頷いた。
「はい」
縄を解く。乾いた繊維が指に食い込む。結び目は固かったが、刃を使うほどではなかった。蝋封はもはや封の役目を果たしていない。爪で押せば、あっけなくひびが入った。
蓋を持ち上げると、箱の中から、鉄と薬草の匂いが立ちのぼった。
いちばん上に入っていたのは衣類だった。
だが人の側が用意したものとはずいぶん違う。淡い色も金糸もない。厚く、暗く、擦れても惜しくない布ばかりだ。首まわりにゆとりのある上衣、厚手の靴下、丈夫な外套。手袋も内側に補強布が当てられ、縫い目は太い。
その脇には、小さな陶器の壺が三つ並び、さらに下には結び紐や針、蝋引きの糸、革鞘のような実用品がまとめて入っていた。鏡や香油ではなく、傷んだものを直し、身体を保つための道具ばかりだ。
そのいちばん下に、黒い布で包まれたものが見えた。
包みの隅には、乾いた赤黒い染みが広がっていた。
私は手を止める。
木肌に残っていた筋と、同じ色だった。
レディヴィアもそれに気づいたらしい。
ほんのわずかに視線が細くなる。けれど止めはしなかった。
「……見ますか」
「ええ」
布を解く。
何重かに巻かれていた布は、最後の一枚だけが少し硬くなっていた。乾いた汚れが繊維を固めているのだと分かる。指先でそっとめくると、ようやく中身が現れた。
王冠だった。
人の王冠のように光を散らすためのものではない。黒鉄に近い暗い金属で作られ、細く尖った枝が左右へ不規則に伸びている。角を模した意匠なのか、それとも翼の骨を象っているのか、ひと目では分からない。美しい、と言い切るには鋭すぎて、禍々しい、と言うには静かすぎた。
ただ、その内側だけは、はっきりと不穏だった。
輪の内側に、小さな棘が並んでいる。
飾りではない。頭へ載せれば、皮膚へきちんと触れる位置だ。
その棘と、縁の溝に、赤黒いものが乾いて残っていた。
王冠なのに、祝うための形をしていない。
載せるためではなく、刻むためのものに見えた。
レディヴィアが、静かに口を開く。
「……戴冠の時のものです」
声は平らだった。
平らすぎて、かえってそこで止まってしまう。
「血を取るのです」
彼女は王冠を見下ろしたまま続ける。
「王冠が、誰の上にあるかを覚えるために」
私は王冠から目を離せなかった。
内側の棘は短い。けれど浅く裂くには十分だった。
こびりついている血が、それを証明している。
「……あなたの、ですか」
そう問うと、レディヴィアは頷いた。
「私の血です」
私は息をひとつ吐いた。
頭皮に触れる感覚を想像して、背筋が冷える。
私は王冠から目を外し、箱の中へ視線を落とした。
この場に残るべきなのは、たぶんこちらだと思った。
「外套も、軟膏も、紐もあります」
ひどく不器用な言い方だと、自分でも分かった。
それでも今は、そちらを見るほうがましだった。
「私たちには要るものです」
彼女もまた、箱の中を見た。
「そうですね」
その返事は、王冠ではなく、外套と薬へ向いていた。
私はしばらく迷ってから、黒布を持ち上げる。
「これは、どうしましょう」
レディヴィアはすぐには答えなかった。
暖炉の火がひとつ、小さく鳴る。赤い光が、王冠の乾いた血を鈍く照らした。
「……しまっておきましょう」
やがて彼女はそう言った。
「一応、私の証明です」
私は黙って頷き、黒布をたたみ直した。
今は、それより先に使うべきものがある。
壺をひとつ取り上げる。
「これは、使いましょう」
レディヴィアが、わずかに目を瞬かせる。
「使えますか」
「ええ。まだ、効くかどうかは分かりませんが」
言いながら箱の脇へ寄せると、彼女はしばらく黙っていた。
やがて、ごく小さく頷く。
「……よかったです」
私は返事の代わりに、外套を一枚持ち上げた。
厚くて、重い。人の仕立てとは違うが、外を歩くにはこちらのほうが向いているだろう。
「これは、明日から使えそうです」
「そうですね」
レディヴィアはそう言ってから、ほんの少しだけ口元を和らげた。
「少なくとも、王冠よりは」
私は思わず息を吐く。
「ええ」
少しの間だけ、私たちはその前に座ったままだった。
私は小さく息を吐いてから、箱の脇へ寄せておいた壺をひとつ手に取る。
蓋を開けると、青みを帯びた草の匂いがした。人の薬草より少し苦く、冷たい香りだったが、鼻を刺すほどではない。
指先で少しだけ掬う。
「……使えそうですね」
重すぎず、柔らかすぎもしない。冬の冷えた部屋でも指に馴染むくらいには、油がきちんと回っているらしかった。
私は壺を持ったまま、レディヴィアを見る。
「手首、まだ痛みますか」
彼女は一瞬だけ目を瞬かせた。
痛みを問われること自体に慣れていないような顔だった。
「痛みはあまり」
「それでも、塗っておきましょう」
そう言うと、レディヴィアは静かに頷いた。
こちらへ身体を少し向け、手首を寄せる。枷の跡は、もう消えることはないのだろう。けれど、乾いた皮膚を和らげるくらいなら、この軟膏にも意味はあるはずだった。
私は指先に軟膏を少し取る。
ひやりとした感触が、まず自分の皮膚に触れた。
「少し冷たいかもしれません」
「大丈夫です」
そう返ってくるのを聞いてから、私は手首へそっと薬を伸ばした。
思ったより皮膚は熱を持っている。軟膏はすぐに薄く広がり、静かに馴染んだ。レディヴィアの肩が、最初だけほんの少しだけ強張る。だがすぐに力が抜けた。
「……どうですか」
「冷たいです」
レディヴィアは少し考えるようにしてから続ける。
「でも、良くなる気がします」
私は小さく頷き、もう一度だけ手首を撫でた。
壺の脇に、細長い包みが入っていた。
革紐を解くと、黒褐色の薄い板のようなものが重なっている。燻した匂いに、塩とは違う鋭い香草の香りが混じっていた。
「保存食でしょうか」
レディヴィアが覗き込み、すぐに頷く。
「はい。火に少し当てると、食べやすくなります」
彼女は包みを受け取り、暖炉の火へかざした。
表面がわずかに艶を帯びる。
端をちぎって差し出され、私は口に入れた。
「……普通に、美味しいですね」
「保存食ですから」
レディヴィアは自分のぶんも口へ運ぶ。
「普通でないと困ります」
それは、妙にもっともだった。
暖炉の前で、二人でその保存食を少しずつ齧る。
続けて私は箱の中から、今度は厚い布を一枚引き出した。
黒に近い濃灰色で、見た目に重く、指を滑らせると起毛した内側が思ったより柔らかい。
「これは……」
広げてみる。
外套に見えたが、羽織るには少し幅がありすぎる。肩にかけるだけでなく、包むための形なのかもしれない。
レディヴィアがその端を持つ。
「冬の移動で使うものだったと思います」
「なるほど」
私は長椅子の脇に作った寝床のほうへ視線をやった。
「では、今夜はこれを上に重ねましょう。毛布より風を通しにくそうです」
「たしかに」
試しに掛布の上へ広げると、布は見た目よりきちんと落ち着いた。軽すぎず、重すぎず、身体の形へ沿うように沈む。人の嫁入り道具に入っていた華やかな布より、よほど夜に向いている。
私は小さく息を吐いた。
レディヴィアがこちらを見る。
「どうしましたか」
「いえ」
私は布の端を指で整えながら言う。
「人の側の嫁入り道具には、見せるためのものがたくさん入っていました」
私は箱の中の外套と壺、紐へ目を落とす。
「でも、こちらは違う」
「……生き延びるための箱ですね」
その言葉に、レディヴィアはすぐには答えなかった。
暖炉の火を見ているのか、箱の内側を見ているのか分からない目で、少しだけ黙る。
「……そうかもしれません」
ようやく返ってきた声は、静かだった。
「私には、それがあっているのかも知れません」
ただ、そうであったとだけ言う。
私は頷いた。
代わりに、箱の底からもう一枚、厚手の外套を取り上げる。
肩へかけてみると、確かに重い。だが、昨日まで使っていたものより、風をきちんと弾きそうだった。
「これは、外を歩く時に良さそうです」
「ええ」
レディヴィアも自分のぶんを手に取る。
袖を通し、肩を動かしてみてから、小さく言った。
「動きやすいです」
「そちらの仕立てのほうが、もともと外へ出る前提なのかもしれませんね」
「人の服は、綺麗でした」
「ええ。驚くほど」
「ですが、藁を運ぶのには向きませんでした」
私は思わず笑った。
「まったく向いていませんでしたね」
それだけのことで、部屋の空気が少しだけやわらいだ。
箱の中身を選り分けていく。
軟膏は暖炉の棚へ。
結び紐と針は裁縫道具のそばへ。
保存食は厨房へ持っていけるよう、麻布に包み直す。
厚い布は寝床へ。
外套は扉の脇へ掛ける。
ひとつずつ場所が決まるたび、箱の中身が過去の名残ではなく、この部屋の一部になっていった。
最後に私は、蓋の閉じた箱を見下ろした。
底にはまだ王冠がある。血のついたままの、レディヴィアの証明。
けれど、その上に重ねられていたものの多くは、もう箱の外へ出ている。
レディヴィアも同じように箱を見ていた。
やがて、小さく言う。
「沢山入ってましたね」
「ええ。助かる物ばかりです」
「……役に立つものが、入っていてよかったです」
私は部屋を見回した。
「勿論です」
火が、静かに鳴った。




