表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
厄介な世界。最低な結婚。最高の人生。  作者: 空琴累音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/14

ep.13 探索

 翌朝、目が覚めた時には、暖炉の火はもうほとんど灰になっていた。


 昨夜のように肩や腰の痛みはない。床に作った寝床が思った以上に身体を休めてくれた。隣では、レディヴィアもすでに目を開けていた。


 朝の光は薄い。窓の隙間から差し込む白い明るさが、石壁の粗い面を静かに撫でている。寒さは相変わらずだったが、昨夜の湯の熱を思い出すだけで、どこか昨日までとは違う場所にいるような気がした。


「おはようございます、レディヴィア様」


 そう言うと、彼女は少しだけ目を瞬かせてから、静かに返した。


「おはようございます、アルシエラ様」


 二人で並んで、手早く実用着に着替える。髪だけ軽く整え、顔を洗う。朝の水は容赦なく冷たかったが、それが朝の目覚めにちょうどいい。


 厨房では、簡単に朝を済ませた。

 燻製肉を少し炙り、湯を沸かして薄い茶を淹れる。空の胃に温かいものが落ちると、冷えた身体の奥がゆっくりほどける。レディヴィアは椀を持ったまま、窓の向こうの薄い朝をしばらく見ていた。


「今日は、城の外を見て回るのでしたね」


「ええ。大まかで構いませんから、周辺を知っておきたいです」


 私は茶をひと口飲んでから続ける。


「兵の集まる場所か、指揮を執る部屋があれば、地図が残っているかもしれません」


「地図」


「こういう城には、だいたいあります。無ければ無いで諦めますが、あれば助かります」


 食事を終えると、私たちは厨房をあとにした。

 朝の城は静かだった。昨日までの静けさと変わらぬはずなのに、今朝はただ冷たいだけの空間には見えない。


 広い回廊を渡り、昨日は通らなかった区画へ入る。

 兵舎らしい長い部屋を抜け、内壁沿いの階段を上がる。階段は石でできていたが、中央だけすり減り、長く使われていたことが分かった。指揮を執る者の部屋があるなら、少し高い位置か、外を見渡しやすい側だろう。


 二つ目の踊り場を曲がったところで、他より重そうな扉が見えた。

 飾りはない。だが蝶番が太く、取っ手も実用一点張りの鉄だった。


 押し開けると、乾いた空気がわずかに動いた。


 部屋は広くはないが、他より整った形をしていた。

 窓は細く高く、外の光だけはよく入る。中央には大きな机が脚の揃ったまま残っていた。壁には鉄の留め具がいくつも打たれていて、以前はそこへ地図や命令板が掛けられていたのだろう。書類や文具などは残っていない、それでも薄い木枠に張られた一枚物の古地図がまだ残っていた。


 私はそっとそれを机に乗せた。木枠は乾ききって少し反っており、動かすだけで薄く埃が舞った。

 それでも紙はまだ破れていない。長く放置されていたわりに、驚くほど形を保っている。


 エヴェルデナ旧城塞を中心に、周辺の地形が細い線で描かれている。山、谷、沢、旧街道、見張り道。城塞の周囲には小さな監視塔がいくつも記され、その一部には赤い印が重ねられていた。


 レディヴィアが私の肩越しに地図を覗き込む。


「何もありませんね」


「人と魔の間、どちらにとっても果てですから」


 私は監視塔の印を指でなぞりながら、小さく息を吐いた。


「ここには近づかないようにしましょう」


 レディヴィアが首を傾げる。


「使われているのですか」


「分かりません。それでも、城塞から遠くへ移動していないか、確かめている可能性もあります」


 そう言うと、レディヴィアは少しだけ考える顔をした。

 地図の端に、見張り塔を結ぶ線が走っている。旧街道より細く、補給や伝令のための道だろう。長い戦争のあいだに廃れたのかもしれないが、完全に死んだとは限らない。


「もし使われているなら、見つからないほうが面倒が少ないでしょうから」


「見ないで済むものなら、そのほうがよさそうです」


「ええ。私たちは、いまのところ放っておかれているほうがましです」


 その言葉を自分で口にしてから、妙にしっくり来ると思った。


 指揮官室から戻る際に、城の見取り図と周辺図を持ち帰ることにした。

 見取り図は、後で役に立つだろう。


「外に出る前に、昼に少し食べられるものを持っていきましょう。城へ戻ってからでは遅くなるかもしれません」


 厨房へ戻ると、昨日よりさらに手順は早かった。麦を少しだけ潰して固め、小さな焼き団子にする。豆の残りと燻製肉を麻布で包み、干した果実を数粒添える。水は蓋つきの深鉢へ移した。豪勢とは程遠い。けれど、歩きながら腹を繋ぐには充分だった。


 レディヴィアが包んだ布を手に取って言う。


「遠征食ですね」


 その言い方があまりに真面目で、私は少しだけ口元を緩めた。


「初めての遠征です」


 レディヴィアは素直に「私もです」と返し、それから包みを大事そうに持ち直した。


 城の外へ出ると、空気は思った以上に澄んでいた。冷たいというより、何も混ざっていない。人の煙も、町の匂いも、家畜の濁った熱もない。あるのは冬の光と、石と、遠い山林の匂いだけだった。


 馬たちは昨夜の囲いから少し離れた斜面で草を食んでいた。 完全にいなくなるでもなく、しかし囲いに戻るでもなく、好きな距離だけ城塞から離れている。こちらに気づくと片方が耳を立てたが、すぐまた草へ顔を戻した。


 「賢いですね、この場所をうまく使っています」


 レディヴィアが言う。


「私達も上手く使えていますよ」


 レディヴィアは口角をほんの少しだけ緩めて、頷いた。


 外門の外には、かつては道だったのだろう石の並びが半ば土へ沈んでいた。

 その先はゆるやかな下りになり、やがて森の縁へ続いている。遠くには低い尾根。さらにその向こうは、色の薄い山林が重なっていた。町も農地も見えない。ただ、人の手が引いた道の残骸だけが、ここに戦争の前の生活があったことを示している。


 少し歩いたところで、私は立ち止まり、地図を思い返す。

 地図の上では、ここから南へ沢、東へ旧街道、西へ監視塔への細道が伸びている。見張りの印がある方向は、できれば避けたい。


「こちらへ行きましょう」


 私が沢沿いの方向を指すと、レディヴィアは頷いた。


「監視塔から遠いほうですね」


「ええ。水の位置も見ておきたいですし、森の縁までなら戻るのも楽でしょう」


 歩き始めると、足元の土は城塞の中とは違う柔らかさを返した。石の冷たさではなく、枯草と土の重さ。ところどころに、古い杭のようなものが半ば倒れたまま残っている。かつて防柵でも置かれていたのかもしれない。木はすっかり黒くなり、今は触れれば崩れそうだった。


 レディヴィアが不意に足を止める。


「ここ」


 示された先を見ると、地面に大きな足跡が残っていた。

 犬や狼よりずっと大きい。爪の痕が深く、乾いた泥の上に新しく刻まれたように見える。そこから少し先へ続いた痕跡は、途中で不自然に向きを変え、森のほうへ逸れていた。


「魔獣でしょうか」


「たぶん」


 私は足跡の縁を見た。鋭い。けれど昨日今日のものかどうかまでは分からない。


「近いですか」


 レディヴィアはしばらく黙っていたが、やがて首を横に振った。


「今は、いません。匂いも古いです」


 彼女の感覚に頼るしかないので、私はそれ以上確かめようとはしなかった。代わりに、足跡の続く森のほうを見た。木々は静かで、鳥の声も少ない。


 魔獣はいる。

 けれど、今のところ近寄ってはこない。

 その事実は安心と、別の不気味さを同時に連れてきた。


 沢はほどなく見つかった。

 地図の通り、谷へ落ちる前の浅い流れが岩の間を縫っている。水は細いが、澄んでいた。


 私はしゃがみ込み、水の冷たさに指を沈める。城内の水路と同じ流れの一部かもしれない。


 それ以上は立ち止まらず、私たちは沢沿いへ歩を戻した。


 古い荷車の残骸が、半ば地面に埋もれていた。車輪は腐っていたが、鉄の輪と軸はまだ使えるかもしれない。

 少し先には炭焼き小屋めいた黒い跡も見えた。屋根は落ちていたが、乾いた板材なら拾えるだろう。

 そのほかにも、春になれば使えそうな草の名残や、細い踏み跡がいくつか森の際へ消えていた。


 昼近くになり、私たちは岩陰へ腰を下ろした。

 風は冷たいが、朝よりはましだ。布包みを解き、麦団子と豆、燻製肉を分ける。沢の音が細く続き、周囲には鳥の声すら少ない。

 レディヴィアが、麦団子をひと口かじってから言う。


「外で食べると、少し違いますね」


「確かに、少し美味しく感じます」


 そう言うと、レディヴィアは豆を飲み込んでからこちらを見た。


「特別な昼食ですね」


「初めての遠征ですから」


 レディヴィアは小さく頷き、焼いた麦を一口齧った。

 そうして、はっきりと目元を和らげた。


 食べ終えたあと、私はもう一度だけ城塞のほうを見た。

 石の城は遠く、けれど消えるほどではない。


 立ち上がり、布を畳む。


「戻りましょうか」


「はい」


 しばらく沢沿いを歩き、戻る道へ折れた頃、外壁の北側を回り込む形になった。

 こちらはレディヴィアが来た外門のほうへ近い。人の側から見慣れた正面門より、ずっと無骨な造りをしていた。高い石壁の一部が外へ張り出し、監視よりむしろ遮断のために作られたように見える。


「……あれは」


 壁際に木箱がいくつか雑に置かれていた。地面には箱を引きずった跡が残り、片側の角だけが土へ食い込んでいる。縄は粗くかけられ、封の蝋は潰れかけていた。


 レディヴィアも同時にそれを見たらしい。

 しばらく黙ってから、静かに言った。


「……来た時には、ありませんでした」


「あとから?」


「たぶん」


 私は近づいて、木箱の側面へ手を触れた。

 角には黒い金具が打たれている。

 見覚えのない意匠だったが、人の細工ではないとすぐ分かる。華美ではないのに、妙に棘のある線で構成されていた。


「レディヴィア様のでしょうか」


 問いかけると、レディヴィアは箱の縄を見下ろしたまま答えた。


「たぶん。私の分も嫁入り道具があったのかも知れません」


 彼女の声は平坦だった。

 驚いているのか、呆れているのか、今はまだ分からない。


「開けますか」


 そう尋ねてから、私は自分で首を振る。


「……いえ。今はやめましょう」


 レディヴィアがこちらを見る。


「後で、ですか」


「ええ。ここで中身を広げるより、城の中へ運んだほうがいい。軽いものではなさそうですし」


 彼女は少しだけ考え、それから頷いた。


「そのほうがよさそうです」


「二人で運びましょう」


 大きい箱は彼女が持ち上げ、浅い箱は私が浮かせた。

 木肌に、かすかな赤黒い筋が残っているのが見えた。泥か、古い何かか、今は判別がつかない。私は城のほうへ視線を戻した。


 城が、私たちの帰る場所になっている。

 レディヴィアが歩いてきた外門から、二人で帰る。


 エヴェルデナ旧城塞――人と魔の果ての地で、勇者と魔王が豆を煮ているのだから、世界はずいぶん妙な仕組みで回っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ