第八十話「深夜の地下通路と、影に潜む『偽りの砂糖』の真実」
その日、王城は給仕された紅茶やデザートをめぐる体調不良の報告で、陰謀の影に覆われていた。マリアンネ王女の解析により、給仕用の砂糖に、ごく微量の、精神を不安定にさせる成分が混入していることが判明。王城の貴族や使用人は、誰もが互いを疑い、城内の空気は、夜の闇のような不信感に満ちていた。
アルベルト王子は、犯人特定を急ぐが、複雑な流通経路と、誰もが持つ「動機」の可能性に、手がかりがつかめず苦悩していた。
「この不信感が、最も恐ろしい毒だ。犯人を捕らえなければ、城内の信頼は崩壊する」
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深夜、シャルロッテは、モフモフを抱き、アルベルトにそっと尋ねた。
「ねえ、兄様。犯人がわかったら、どうするの?」
アルベルトは、迷うことなく答えた。
「厳正に罰する。王家の秩序と、人々の信頼を取り戻すためだ」
シャルロッテは、その答えに、悲しそうな顔をした。
「ううん。それは、可愛くないよ。罰しても、『誰かを疑った』っていう黒い気持ちは、消えないもの」
シャルロッテの「可愛い」の哲学は、「誰かを裁くこと」ではなく、「不信感そのものを浄化すること」を求めていた。彼女は、犯人を特定することで、「その人の心に、永遠に『裏切り者』という、黒いレッテルを貼ってしまう」ことの残酷さを、直感的に恐れたのだ。
彼女の目的は、不信感の連鎖を断ち切ることであり、犯人を罰することではなかった。
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シャルロッテは、アルベルトを説得することなく、そっと地下通路に降り立った。そこは、闇と光のコントラストが激しく、真実が隠されているにふさわしい、迷宮のような場所だった。
彼女は、そこで、怪しい人影ではなく、砂糖の袋自身が、不気味に蠢いているのを見つけた。それは、混入された不純物が、闇属性の微弱な魔力を持って、自己増殖している姿だったのだ。
シャルロッテは、「なぜ、あなたは生まれたの?」と、砂糖の袋に問いかけた。そして、彼女は、不純物の中の、「誰にも見てもらえない悲しさ」という、犯人の微かな感情の残滓を、魔法で感知した。
犯人は、誰にも必要とされていないと感じた、孤独な誰かだった。
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シャルロッテは、その刹那、犯人を特定し、その孤独を理解することもできた。
しかし、彼女は、あえてそうしなかった。
彼女の選択は、「犯人の個人の罪を暴くよりも、王城全体という組織の信頼という、より大きな善を選ぶ」という、純粋で、最も高貴な決断だった。
シャルロッテは、その砂糖の袋の全てに、光属性と水属性の魔法を応用した。彼女の虹色の魔力は、「偽りの砂糖」に混入された不純物だけを、優しく、しかし確実に浄化していった。そして、浄化された砂糖には、彼女の「優しさ」と「信頼」という、温かい光が宿った。
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翌朝、王城の給仕が淹れた紅茶は、誰もが一口飲むと、心が温かくなるのを感じた。
アルベルトは、その日の紅茶の味と、城内の空気が一変したことに気づいた。そして、彼は、地下通路に落ちていた、小さな、深紅のリボン……シャルロッテの髪飾り……を見つけ、すべてを悟った。
アルベルトは、妹の元にやってきた。
「シャル。君は、なぜ犯人を特定しなかった? 君なら、できたはずだ」
シャルロッテは、にっこり微笑んだ。
「だってね、兄様。犯人がわかったら、みんな、その人の顔を見て、また疑うでしょう? でもね、誰も犯人を知らなければ、みんな、また信じ合うことができるんだよ」
「王族の役割は、真実を暴くことよりも、人々の心に、光と愛という、疑いようのない事実を贈るということか……」
アルベルトは、妹の純粋なノブリス・オブリージュの哲学に、頭を垂れた。
彼も、犯人を特定することはせず、その真実を王家の秘密とした。
シャルロッテの純粋な愛は、王城に渦巻いた不信感と陰謀の影を、優雅な「信頼」という光で塗り替え、その中に赦しという、最も高貴な真実を埋め込んだのだった。