第七十九話「虹色の知恵と、消えてゆく『優しい法則』」
その日の午後、マリアンネ王女は、妹シャルロッテの規格外の魔力と知能に、新たな発見をしていた。シャルロッテの魔力は、彼女の純粋な感情に比例して増大するが、マリアンネの解析によると、その知能の成長曲線は、通常の人間が辿り得ない、極めて急激で異常な上昇を示していた。
マリアンネは、その現象に、喜びと同時に、微かな恐れを抱いていた。
「シャル。あなたは、本当に天才よ。でも、その知恵は、いつかあなたの純粋な心に、冷たい影を落とすのではないかしら。私はそれが心配なの」
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シャルロッテは、姉の不安を察していた。前世で「跡取り」として、感情を抑圧し、知性だけを求められた経験が、彼女の記憶の奥底で、いつも静かに警鐘を鳴らしていた。
「ねえ、お姉様。わたし、賢いだけなのは嫌だよ。可愛い方がいいもん」
シャルロッテの「可愛い」という感情は、論理や知性を超えた、純粋さの自己防衛本能だった。
その頃、王城の温室に、マリアンネが研究用に作った、「完璧な成長法則」に従って咲く、人工的な白い薔薇があった。その薔薇は、一切の不純物なく、論理的に最も美しい形と色を保っていたが、香りがなかった。
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シャルロッテは、その完璧な白い薔薇を、じっと見つめた。そして、隣に咲く、形は不揃いだが、強烈な甘い香りを持つ、庭師ハンスが育てた普通のピンクの薔薇を見た。
彼女は不意に、知識と感情、二つの選択を迫られているように感じた。
シャルロッテは、人工的な白い薔薇に、闇属性の「喪失」の魔法を、ごく微細にかけた。その魔法は、薔薇の「完璧な法則」を、ゆっくりと崩し始めた。
白い薔薇は、一瞬、不規則に形を崩したが、その崩壊の過程で、微かな、しかし温かい、ミルクのような香りを放ち始めた。それは、「論理」から解放されたことで、初めて得られた、感情的な美しさだった。
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マリアンネは、妹の行動に驚愕した。
「シャル! なぜ、完璧な法則を崩すの!? それは、知性の敗北よ!」
シャルロッテは、首を振った。
「ううん。これはね、知識の勝利じゃないよ。可愛い気持ちの勝利だよ」
シャルロッテは、崩れた白い薔薇と、隣の不揃いなピンクの薔薇を、優しく撫でた。
「知識はね、私を孤独にするけど、可愛い気持ちは、みんなを温めるの。私は、みんなを温める光になりたい」
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マリアンネは、妹の純粋な愛の力に、論理が打ち砕かれるのを感じた。彼女は、研究ノートの最初のページに、こう書き加えた。
『知性は、幸福の保証ではない。知性の最も尊い役割は、愛という感情を、より深く理解し、表現することにあるのかもしれない』
その夜、シャルロッテは、モフモフを抱き、安らかに眠りについた。彼女は、自らの知性が、いつか自分を孤独に突き落とすのではないかという恐れから解放され、「知性は愛のためにある」という、究極の真理を、純粋な愛の力で掴み取ったのだった。