第六十四話「疾走のペガサスと、谷を越える『勇気の飛翔』」
その日の午後、王城の厩舎は、一触即発の緊張感に包まれていた。
フリードリヒ王子が、騎士団が訓練用に連れてきた、一頭の荒々しい黒いペガサスの調教に挑んでいた。このペガサスは、魔力が高すぎるため扱いにくく、誰も乗りこなせないでいた。
「くそっ! こんな気性の荒い魔物は初めてだ!」
フリードリヒは、ペガサスに乗り込もうとするが、ペガサスは拒絶するように激しく暴れ、地面を蹴った。彼の剛胆な気迫をもってしても、ペガサスの心の壁を破れずにいた。
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シャルロッテは、その光景を、フリードリヒの隣で見ていた。彼女は、ペガサスの持つ荒々しさの中に、「誰にも理解されない、孤独なエネルギー」を感じ取っていた。
「ねえ、フリードリヒ兄様。そのペガサスさん、飛ぶのが怖いのよ」
フリードリヒは、驚いて妹を振り返った。
「馬鹿な! ペガサスが空を飛ぶのを怖がるなんて」
シャルロッテは、ペガサスのたてがみにそっと触れた。
「ううん。この子はね、飛ぶのは大好き。でも、一人で飛ぶのが怖いの。きっと、信頼してくれる、可愛い誰かと一緒に飛びたいのよ」
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次の瞬間、ペガサスは突然、繋がれていた手綱を引きちぎり、暴走した。ペガサスは、そのまま厩舎の扉を破り、外の広大な平野へ向かって、猛然と走り出した。その背中には、驚いたモフモフを抱いたシャルロッテが、ごくわずかな浮遊魔法で体に張り付くようにして、しがみついていた。
「シャル!?」
フリードリヒの叫び声が響く。
ペガサスは、地面を蹴り、その巨大な翼を一気に広げた!
疾走!
ペガサスは、王城の広大な平野を、地平線に向かって猛スピードで飛び去っていく。その速度は、音を置き去りにするほどだ。
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シャルロッテは、風圧で目を開けるのもやっとだった。彼女は、恐怖ではなく、ペガサスの持つ、抑えきれない「飛びたい」という純粋な歓びを感じていた。
「大丈夫だよ、ペガサスさん! わたしが一緒だよ!」
シャルロッテは、ペガサスのたてがみに、光属性の勇気と、風属性の安定の魔法を、惜しみなく流し込んだ。ペガサスは、その温かい魔力に、孤独ではないことを確信し、さらにスピードを上げた。
ペガサスは、平野の果てにある、深い谷を前に、さらに翼を大きく広げた!
飛翔!
ペガサスとシャルロッテは、谷を飛び越え、空へ、空へと舞い上がっていく!
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その光景を、城から見ていたフリードリヒは、もはや馬鹿力での調教を諦めた。彼は、妹の「愛」と「信頼」という、最強の力を信じ、ただ空を見上げていた。
空高く舞い上がったペガサスは、やがて速度を緩め、穏やかに王城へと戻ってきた。
ペガサスの背から降りたシャルロッテは、モフモフを抱きしめ、満面の笑顔だった。ペガサスは、暴れることなく、静かにシャルロッテの足元に膝をついた。
「ね、フリードリヒ兄様。この子、やっぱり一人で飛ぶのが怖かったんだよ。でもね、わたしのこと、大好きになってくれたんだよ!」
フリードリヒは、荒々しいペガサスが、妹の愛らしい姿におとなしくなった光景を見て、涙ぐんだ。彼は、妹を力強く抱きしめた。
「シャル! ありがとう! お前は、この国で、最強の勇気を持っている!」
疾走と飛翔の、躍動感あふれる挑戦は、最後、兄妹の温かい愛と、ペガサスの心からの信頼という、最も優しい安息に包まれたのだった。