第六百十一話「凍える泥棒と、姫殿下の『逮捕されないスープ』」
木枯らしが吹き荒れる冬の夜のことです。王城の外れで、一人の男が震えていました。
彼の名はスニーク。世間を騒がせる大泥棒……ではなく、今日のご飯にも困る、しがないコソ泥でした。
彼の服は薄く、お腹はペコペコ。
スニークは、高い城壁を見上げながら、ある「完全犯罪」を計画していました。
「……王城の地下牢は、床暖房完備で、朝昼晩とシチューが出るらしい。よし、わざと捕まって、冬の間はそこでぬくぬくと過ごそう」
情けない計画ですが、彼にとっては死活問題でした。
スニークは、意を決して裏口の窓に石を投げようとしました。ガラスを割れば、すぐに衛兵が飛んでくるはずです。
振りかぶった、その時。
ガラッ! と窓が内側から開きました。
顔を出したのは、シャルロッテとモフモフでした。
「こんばんは! お兄さん、窓をノックしようとしてくれたの?」
スニークは石を持ったまま固まりました。
「え、あ、いや、俺はこれを投げ……」
しどろもどろになったスニークを気にすることなく、シャルロッテはぱっと顔を輝かせました。
「わあ、綺麗な石! プレゼントだね! ありがとう!」
シャルロッテは、風属性魔法でスニークの手から石をヒョイと受け取り、代わりに窓辺にあった温かい蒸しパンを一つ、彼の手に握らせました。
「お返しだよ。バイバイ!」
パタン。窓は閉まりました。
スニークの手には、ほかほかのパンと、やり場のない困惑が残りました。
「……捕まらなかった。しかも、餌付けされた……」
気を取り直したスニークは、厨房へ忍び込みました。
高級な銀の皿を盗もうとすれば、さすがに捕まるでしょう。
彼は、銀のスープ皿を懐に入れ、わざと大きな音を立てて逃げようとしました。
ガシャーン!
「曲者だー! 誰か来てくれー!」(※自分で叫んでます)
しかし、やってきたのは衛兵ではなく、夜食を探しに来たシャルロッテでした。
彼女は、銀の皿を抱えて走るスニークを見て、手を叩きました。
「すごい! お兄さん、お皿回しの練習中? それとも、配膳の特訓?」
「ち、違う! 俺は泥棒だ! この皿を盗んで……」
「えー? でも、そのお皿、まだ汚れてるよ? 洗ってくれるの?」
見れば、それは洗い場に出されていた使用済みの皿でした。
シャルロッテは、水属性魔法で皿をピカピカに洗い流し、スニークに返しました。
「はい、綺麗になったよ。練習頑張ってね!」
スニークは、ピカピカの皿を持ったまま、呆然と厨房から押し出されました。
またしても、捕まることに失敗したのです。
途方に暮れたスニークは、城内の礼拝堂へと迷い込みました。
そこからは、美しいオルガンの音色が聞こえてきました。
中を覗くと、シャルロッテが一人で、静かにオルガンを弾いていました。
その旋律は、優しく、どこか懐かしく、スニークの凍えた心に染み入るようでした。
スニークは、柱の陰でその音色を聴きながら、ふと涙を流しました。
俺は、なにをやっているんだろう。
わざと捕まって、楽をしようだなんて。
五体満足なのだから、真面目に働けばいいじゃないか。
オルガンの音は、彼の中にある僅かな良心を呼び覚ましました。
「……やめよう。明日からは、まっとうに生きよう」
スニークが改心し、静かに立ち去ろうとした、その瞬間です。
背後から、ガシッ! と強い手が彼の肩を掴みました。
振り返ると、そこには鬼のような形相の近衛兵が立っていました。
ついに、見つかったのです。
「貴様! こんなところでコソコソと! 不審者だな!」
スニークは観念しました。
「……ああ、そうです。俺は泥棒です。捕まえてください」
しかし、そこにシャルロッテが駆け寄ってきました。
「待って、兵隊さん! その人は、私の『お客様』だよ!」
「お、お客様でありますか?」
「うん。私の演奏を、一番真剣に聴いてくれていた、ただの音楽好きのお兄さんだよ」
シャルロッテは、スニークの手を取りました。
彼女の手は小さく、温かでした。
「ねえ、お兄さん。感動して泣いてくれたの? 嬉しいな。お礼に、あっちで温かいスープをご馳走するよ」
スニークは、牢屋の冷たいスープではなく、食堂の極上のポタージュと、焼きたてのパンにありつくことになりました。
暖炉の前で、彼はシャルロッテとモフモフに見守られながら、涙とスープを一緒に飲み込みました。
「……うまい。温かい……」
食べ終わった後、スニークは城を出ました。
懐には、シャルロッテが持たせてくれたお土産のパンと、紹介状(※城下町のパン屋で働けるように書いてくれた手紙)が入っていました。
外の風はまだ冷たかったけれど、スニークの足取りはしっかりとしていました。
牢屋という「不自由な温かさ」ではなく、自分の足で歩く「自由な温かさ」を手に入れたのですから。
シャルロッテは、窓から手を振りました。
「また聴きに来てね、音楽家のお兄さん! そのときはもっと可愛くなって来てね!」
それは、聖なる夜に起きた、小さな勘違いと、大きな救いの物語でした。




