第六百五話「数字の国の旅人と、姫殿下の『飼い慣らされたサボテン』」
その日の午後、王城のゲストルームには、遠い砂漠の国からやってきた小さな客人、レオ王子が滞在していました。
彼は、シャルロッテと同じくらいの年齢でしたが、その顔つきはまるで大人のようでした。彼は、常に分厚い帳簿を持ち歩き、何でもかんでも数えずにはいられないのです。
「この城の窓は、全部で千二百と四つ。庭の薔薇は五千本。……ふむ。我が国より多いが、ただの『数』だ。それ以上の意味はない」
レオ王子は、世界のすべてを「数字」と「所有」で測っていました。彼にとって、五千本の薔薇は、ただの「五千という数字の薔薇」でしかなく、それ以上でも以下でもありませんでした。
◆
シャルロッテは、モフモフを抱いて、レオ王子の部屋を訪ねました。
彼女は、レオ王子が持ってきた、トゲだらけで無愛想な鉢植えのサボテンに目を留めました。
「ねえ、レオくん。このトゲトゲさん、お名前はなんていうの?」
レオ王子は、帳簿から目を離さずに答えました。
「名前? ないよ。それはただのサボテンだ。僕の国の温室には、これと同じ種類が三万株ある。これはそのうちの一つに過ぎない」
彼は、そのサボテンを特別だとは思っていませんでした。たくさんあるうちの、交換可能な一つ。枯れれば、代わりはいくらでもある。そう思っていたのです。
シャルロッテは、悲しそうに眉を寄せました。
彼女の目には、そのサボテンが「僕はその他大勢なんかじゃないよ!」と、小さなトゲを震わせて訴えているように見えました。
「違うよ。この子はね、世界にたった一つだけの、レオくんのサボテンだよ」
「どうして? 他の三万株と、生物学的には全く同じだよ」
シャルロッテは、首を横に振りました。
「ううん。まだ『お友達』になっていないから、同じに見えるんだよ」
シャルロッテは、サボテンの鉢を日当たりの良い窓辺に移動させました。
そして、じょうろで水をあげ(水のあげすぎは禁物ですが、魔法の水なので大丈夫です)、葉っぱについた埃を、小さな筆で丁寧に払ってあげました。
「こうやってね、時間をかけてお世話をしてあげるの。お水をあげて、お日様に当てて、『可愛いね』って話しかけてあげるの」
シャルロッテは、光属性と時間魔法を、ごく微量、サボテンに注ぎ込みました。
彼女の魔法は、サボテンを急成長させるためのものではありません。
レオ王子がこの部屋で過ごした時間と、サボテンがそこにいた時間を、目に見えない「金色の糸」で結びつける魔法でした。
シャルロッテは、最後に自分の髪のリボンを解き、サボテンの鉢に結びました。
「ほら。これで、この子は『リボンをした、シャルのお友達のサボテン』になったよ」
レオ王子は、呆れたように見ていましたが、ふと、そのサボテンを見つめ直しました。
リボンが結ばれ、埃が払われ、少しだけ艶やかになった緑色の肌。
夕日が差し込み、トゲが金色の光を纏っています。
彼は、国にいる三万株のサボテンを思い出そうとしました。
しかし、不思議なことに、今、目の前にあるこの一株だけが、特別に輝いて見えました。
もし、このサボテンが枯れてしまったら、他の三万株を持ってきたとしても、代わりにはならないだろうという予感が、彼の胸をチクリと刺しました。
「……変だな。ただの植物なのに、なぜか、急に放っておけない気がしてきた……」
シャルロッテは、モフモフの頭を撫でながら、静かに言いました。
「それが『絆』だよ。レオくんが、この子のために費やした時間と、この子を見つめた時間が、この子を『特別』にしたんだよ」
それは、目には見えないけれど、数字よりもずっと確かな真実でした。
レオ王子は、帳簿を閉じました。
彼は、サボテンのトゲにそっと触れました。痛いけれど、それは「生きている痛み」でした。
「……名前をつけよう。『トゲ丸』だ。僕の、最初の友達だ」
その名前は、あまりセンスが良くありませんでしたが、シャルロッテは「すっごく可愛い名前だね!」と笑いました。
その日の夜、レオ王子は、星を数えるのをやめました。
代わりに、彼は窓辺のトゲ丸を見つめながら、遠い空の下で、シャルロッテがモフモフを抱きしめている姿を想像しました。
世界には何百万もの少女と、何百万もの熊がいるけれど、自分にとってのシャルロッテとモフモフは、宇宙でたった一人の存在なのだと、彼は理解したのです。
大切なものは、目に見えない。
けれど、時間をかけて愛したものは、目に見える世界をも、特別な色に変えてしまうのです。




