第六百四話「星の海への手紙と、姫殿下の『黄金の雑音レコード』」
その日の夜、王城で一番空に近い場所、天文塔の観測室は、静かな興奮に包まれていました。
王立天文学者のサガン博士が、長年の夢であった「星空へのメッセージ」を送る計画を実行に移そうとしていたのです。
部屋の中央には、純金でコーティングされた、美しく輝く一枚の円盤が置かれていました。
これは、魔力によって音と光景を永遠に記録できる、国宝級の魔導具でした。
「陛下、殿下。このディスクには、我がエルデンベルク王国の『叡智の全て』を刻み込みます。そして、流星の魔力を借りて、遥か彼方の宇宙、あるいは数千年後の未来へと飛ばすのです」
サガン博士は、鼻息荒く語りました。
彼のリストには、記録すべきデータがびっしりと書かれていました。
・王国の詳細な地図
・マリアンネ王女が発見した魔法定数の数式
・ルードヴィヒ国王による「我が国の正義について」の厳格な演説
・騎士団のファンファーレ
アルベルト王子も頷きました。
「なるほど。もし未知の知的生命体、あるいは未来の子孫がこれを拾った時、我々が高い知能と秩序を持っていたことを証明できるわけだな」
それは、とても立派で、とても真面目で……そして、どこか冷たい「履歴書」のような内容でした。
◆
そこに、シャルロッテがモフモフを抱いて、夜食のリンゴをかじりながら入ってきました。
彼女は、金色のディスクを見て、「わあ、大きなお金?」と目を丸くしましたが、博士の説明を聞くと、途端に頬を膨らませました。
「えー。サガン博士、それってつまんないよー」
「つ、つまらないとはなんですか、姫殿下! これは我々の文明の証明であり……」
「だって、もし私がお星様の世界に住んでいて、こんな難しい数式とか、パパの長いお説教が届いたら、『うわ、勉強の宿題が来た!』って思って、捨てちゃうかも」
シャルロッテの言葉に、国王は「ぐぬっ」と唸りました。痛いところを突かれたからです。
「ねえ、博士。お友達になりたい時に、成績表を見せる人はいないよ? 『楽しいよ、こっちはいいところだよ!』って教えるのが、お友達への手紙でしょう?」
シャルロッテは、リンゴをシャクッと噛みました。
その瑞々しい音が、静かな観測室に響きました。
「……あ。これだ!」
シャルロッテは、モフモフをディスクの前に連れて行きました。
そして、録音魔法を起動させました。
「博士、ちょっと静かにしててね。……はい、モフモフ、どうぞ!」
モフモフは、ディスクの輝きに興味津々で、鼻を近づけました。
フンフン、フゴゴ……。
そして、満足げに大きくあくびをしました。
くぁ〜……、ガウッ。
「ふふっ。次は私!」
シャルロッテは、残りのリンゴを、景気良くかじりました。
シャクッ! モグモグ、ゴックン。
それは、生命が何かを食べて「美味しい」と感じている、その瞬間の生の音でした。
「な、何をなさいますか! 神聖な記録媒体に、咀嚼音や獣の鳴き声を……!」
サガン博士は慌てふためきましたが、シャルロッテは止めませんでした。
「次! アルベルト兄様!」
「えっ、私か?」
「兄様、こちょこちょー!」
シャルロッテは、不意打ちで兄の脇腹をくすぐりました。
アルベルト王子は、我慢できずに吹き出しました。
「ぶっ! あっ、はははは! や、やめろシャル! ははは!」
厳格な王子の、理性のタガが外れたような笑い声が、しっかりとディスクに刻まれました。
「パパも! ママのことを呼んで!」
「ええっ? こ、こんな夜更けにか? ……エ、エレオノーラ……愛しているよ……」
国王の、照れくさそうで、少し上ずった声も記録されました。
◆
ひと通りの「雑音」を録音し終えると、シャルロッテは満足げにディスクを撫でました。
「これでよし! 数式も地図もないけど、ここには『美味しい』と『楽しい』と『大好き』が入ってるよ」
サガン博士は、頭を抱えていました。
「ああ……。王国の威厳が……。これでは、我々がただの『よく食べ、よく笑う種族』だと思われてしまう……」
しかし、再生された音を聞いて、博士はふと黙り込みました。
ディスクから流れてくるのは、リンゴをかじる音、子熊の寝息、王子の笑い声、そして「愛している」という照れくさい囁き。
それは、どんな高度な数式よりも、遥かに雄弁に「この星は、温かくて平和な場所だ」ということを語っていました。
「……不思議ですね。この雑多な音を聞いていると、なぜか胸が熱くなる。遠い宇宙の誰かに、『私たちは、こんなに幸せに生きていましたよ』と、胸を張って言える気がします」
博士は、数式のページを削除し、シャルロッテの録音を採用することに決めました。
深夜、流星群が降る時刻。
「黄金のレコード」は、強力な風魔法によって、夜空の彼方へと打ち上げられました。
シャルロッテは、夜空を見上げて手を振りました。
「届くといいね、モフモフ。いつか、遠い星の人がこれを聞いて、『あはは、この星のご飯は美味しそうだなあ』って、遊びに来てくれるといいね! だってその方が絶対可愛いもんね!」
夜空に吸い込まれていった金色の円盤は、王国の知識ではなく、王国の「体温」を乗せて、永遠の旅に出ました。
それは、広大な宇宙の暗闇に対する、小さくて、とびきり明るい「ご挨拶」だったのです。




