第六十話「王家の英断と、夏のテラスの『冷たい知恵』」
その年の夏、エルデンベルク王国は、隣国との国境を巡る外交問題で、かつてない緊張状態に置かれていた。会議室の空気は重く、大貴族たちの意見は分裂し、誰もが「現状維持」という安全策に固執していた。
国王ルードヴィヒは、このままでは国益を損なうと理解していたが、重臣たちの反対を押し切る「英断」に、躊躇していた。
「現状維持は、衰退への第一歩だ」
アルベルト王子は、父の苦悩を理解しつつも、組織の硬直性を前に、自らの無力さを感じていた。
◆
ある暑い午後の休憩時間、アルベルトは、城のテラスで冷たい果実水を飲みながら、自責の念に駆られていた。そのテラスには、シャルロッテが発明した「魔法製氷機」(★第十九話を見てね!)が置かれ、心地よい冷気が漂っていた。
シャルロッテは、モフモフを抱いて兄の隣に座った。
「兄様。顔が、夏のテラスよりも熱いよ」
アルベルトは、妹の言葉に、苦笑いした。
「シャル。国を動かすことは、難しい。誰もが、失敗を恐れて動きたがらない。このままでは、皆が望む『平和』が、『生ぬるい停滞』になってしまう」
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シャルロッテは、テーブルの上の果実水に、そっと指を触れた。そして、水属性魔法と光属性魔法を応用し、氷の塊の表面に、極めて微細な、七色の光の膜を張った。
「ね、兄様。氷ってね、溶けるのがわかっているから、こんなに綺麗なんだよ」
アルベルトは、妹の指先の魔法と、その言葉の深さに、ハッとした。
「溶けるのがわかっているから、綺麗……」
シャルロッテは、無邪気な笑顔で、続けた。
「みんなが『現状維持』って言って、溶けない氷になろうとしてるの。でも、氷は溶けて、お水になって、みんなを潤すのが、一番可愛いでしょう? 溶けることを怖がらないのが、一番強いんだよ」
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その言葉は、アルベルトの心に、強烈な光を灯した。彼が恐れていたのは、「失敗」ではなく、「変化しないことによる、国の緩やかな死」だった。
妹の「溶けることを恐れない強さ」という、可愛らしい知恵は、アルベルトに、王族としての「行動の美学」を再認識させた。
アルベルトは、すぐに国王に直談判した。
「父上。決断をしましょう。失敗を恐れて停滞するよりも、行動によって生じるリスクを受け入れるべきです。氷が溶けて水になるように、我々の組織も、変革を恐れてはいけません」
アルベルトの英断と、熱意に押され、国王は、長年の慣例を破る、大胆な外交方針を決定した。会議室の重苦しい空気は一掃され、新しい活力に満たされた。
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数日後、王国の外交は、見事に成功を収めた。
ルードヴィヒ国王は、テラスで氷の入った果実水を飲みながら、シャルロッテを抱きしめた。
「シャル。お前の『溶ける氷の美学』が、国を救った。真の政治とは、冷たい知恵と、温かい行動の融合なのだな」
シャルロッテは、兄と父の誇らしげな笑顔を見て、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、可愛い国は、みんなが動いて流れていないと、可愛くないもん!」
彼女の「可愛い」という感覚は、英雄的な行動と、歴史的な英断を促す、最強の哲学となったのだった。