第五百九十九話「雪山の巨象と、姫殿下の『アルプス・ピクニック』」
冬の只中、エルデンベルク王国の国境にある険しい山脈では、歴史的な演習が行われようとしていました。
隣国の名将、ハンニバル将軍が、巨大な軍用象を数十頭引き連れて、雪深い峠を越えて王城へ表敬訪問するという、無謀とも言える計画を実行に移していたのです。
吹雪が吹き荒れる中、将軍は象の先頭に立ち、凍てつく髭をさすりながら、悲壮な決意を固めていました。
「この山を越えれば、不可能が可能となる。兵たちよ、歯を食いしばれ! 寒さに負けるな! これは自然との戦いだ!」
象たちは、寒さに震え、重い足を雪に埋もれさせながら、悲鳴のような声を上げていました。パオーン、という声が、谷間に寂しく響き渡ります。
と、その時です。
峠の上の方から、何やら楽しげな声が降ってきました。
「わあー! 象さんだ! おっきいねー!」
将軍が驚いて見上げると、岩場の上に、防寒着をもこもこに着込んだシャルロッテが、モフモフと一緒に立っていました。彼女は、この猛吹雪の中を、まるで近所の公園にでも来たかのような軽装(に見える魔法の加護付き)で、ピクニックに来ていたのです。
「こ、これは、シャルロッテ姫殿下ではありませんか!? なぜこのような危険な場所に!」
ハンニバル将軍は仰天しました。
シャルロッテは、雪の斜面をソリ(※ただの木の皮)で滑り降りてきて、先頭の象の鼻先に着地しました。
「こんにちは、将軍様。象さんたち、寒くて『おしくらまんじゅう』したがってるよ?」
「おしくらまんじゅう……? いえ、彼らは寒さに耐え、行軍しているのです。これは過酷な試練なのです」
シャルロッテは、象の鼻を撫でながら、首をかしげました。
「うーん。でもね、せっかくこんな高いところに来たんだから、楽しまなきゃ損だよ。見て、景色が最高だもん!」
シャルロッテは、象の背中を指差しました。そこには、兵士や荷物が無骨に積まれています。
「あそこ、一番眺めがいい『特等席』だよね。あそこで温かいココアを飲んだら、きっと最高だよ!」
彼女は、フリードリヒ王子(※彼も護衛として同行していましたが、寒さでガタガタ震えていました)に合図を送りました。
そして、光属性と火属性の魔法を、象たちの背中に向かってふわりと放ちました。
すると、象の背中に積まれていた荷物が、魔法の熱で温まり、即席の炬燵のようにポカポカとし始めたのです。さらに、風よけの結界が張られ、象の背中は一瞬にして「動く展望ラウンジ」へと変貌しました。
「さあ、将軍様も乗って! 雪見ツアーの出発だよ!」
ハンニバル将軍は、戸惑いながらも、シャルロッテに手を引かれて象の背中によじ登りました。
座ってみると、そこは驚くほど快適でした。象の体温と魔法の暖かさが下から伝わり、冷たい風は結界が防いでくれます。そして何より、高い視点から見下ろす雪山の絶景は、息を呑むほど美しかったのです。
「……なんと。私は、ただ前だけを見て、歯を食いしばって歩いていました。こんなに素晴らしい景色の中を歩いていたとは」
象たちも、背中が温かくなったことで元気を取り戻し、鼻で雪を巻き上げて遊び始めました。
パオーン! という鳴き声が、今度は楽しげなファンファーレのように響きます。
シャルロッテは、リュックから魔法瓶を取り出し、将軍にココアを注ぎました。
「はい、どうぞ。お鼻が赤くなってるから、これで温まってね」
将軍は、象の揺れに身を任せ、温かいココアを啜りました。
過酷だったはずの「アルプス越え」は、いつの間にか、世界で一番贅沢な「空中散歩」のような体験になっていました。
兵士たちも、象の背中に相乗りし、互いに肩を寄せ合って、雪景色を指差しては笑い合っています。
「おい見ろよ、あそこの樹氷、ソフトクリームみたいだぞ」
「本当だ。帰ったら絶対食べようぜ」
峠を越える頃には、夕日が雪原をバラ色に染めていました。
シャルロッテは、モフモフと一緒に象の頭の上に座り、沈む夕日に向かって手を振りました。
「バイバイ、お日様! 象さんも、頑張ったね!」
ハンニバル将軍は、その小さな背中を見つめながら、独りごちました。
「……歴史に残る偉業とは、苦しみながら成し遂げるものではなく、こうして笑いながら、風景を愛でて進むものなのかもしれんな」
その日の夜、王城に到着した一行は、疲れ切った敗残兵のようではなく、素晴らしい旅行から帰ってきた観光客のように、目をキラキラさせて雪山の美しさを語ったそうです。




