第五百九十四話「王妃の休日と、姫殿下の『光を食べるお茶会』」
その日の午後、エレオノーラ王妃は、薔薇の塔の奥にある私室で、ふう、と深く長い溜息をついていました。
連日の外交や夜会で、常に笑顔を絶やさず、気の利いた言葉を紡ぎ続けてきた王妃は、少しだけ「言葉」に疲れてしまっていたのです。
「……静かな場所へ行きたいわ。誰とも話さず、ただ、風の音だけが聞こえる場所へ」
王妃が窓の外を眺めていると、そこへシャルロッテが、モフモフを抱いて忍び込んできました。
彼女は、母の疲れを敏感に察知していました。
「ママ。お疲れ様。……今日はね、森の奥で『秘密のお茶会』があるんだよ。行ってみない?」
「お茶会? ごめんなさいね、シャル。今日は、誰かと会ってお喋りする元気がないの……」
シャルロッテは、首を横に振りました。
「ううん。今日のお茶会はね、一言も喋らなくていいの。ただ『座っているだけ』でいい、世界で一番静かで、贅沢なパーティーなんだよ」
◆
王妃は、娘に手を引かれ、ドレスの裾を少し持ち上げて、王城の裏手に広がる深い森へと足を踏み入れました。
そこには、樹齢数百年を越える巨大なオークの木があり、その枝葉が天蓋のように広がり、地面に美しい木漏れ日のモザイクを描いていました。
シャルロッテは、その巨木の根元に、ふかふかのブランケットを敷きました。
ティーセットもお菓子もありません。あるのは、頭上から降り注ぐ、緑色の光と、風の音だけ。
「ここが会場だよ。ママ、座って」
「まあ……。本当に、何も無いのね」
王妃が腰を下ろすと、モフモフがすぐに隣で丸くなり、あくびをしました。
シャルロッテは、母の隣に座り、頭上の葉を見上げました。
「ねえ、ママ。木さんたちはね、お喋りしないでしょう? でもね、今、ものすごく忙しく『ご飯』を食べているところなんだよ」
「ご飯?」
「うん。見てて」
シャルロッテは、光属性と木属性の魔法を、ごく薄く、霧のように周囲に漂わせました。
それは、目に見えない自然の営みを、視覚化するための魔法でした。
すると、王妃の視界が変わりました。
頭上の無数の葉っぱ一枚一枚が、太陽の光を受け止め、それを黄金色のエネルギーに変えて、枝から幹へ、そして根へと送り込んでいる様子が、光の脈動として見えたのです。
葉は、単に揺れているのではありませんでした。太陽の光を「パクパク」と食べて、命の力に変える、静かで、しかし猛烈な食事の最中だったのです。
「……すごいわ。この森全体が、光を飲み干しているのね」
王妃は、圧倒されました。
静寂に見える森は、実は、太陽の恵みを全身で味わう、生命の歓喜に満ちた祝宴の場だったのです。
言葉など必要ありません。ただ、光を浴びて、生きる力を蓄える。それだけで、命はこんなにも力強く輝くのです。
「ママも、木さんと一緒だよ。喋らなくていいの。ただ、ここでお日様を浴びて、光を食べるの」
シャルロッテは、王妃の手のひらを上に向けて、膝の上に置きました。
木漏れ日が、王妃の手のひらに落ちます。
じんわりとした温かさが、皮膚から染み込み、疲れた心を解きほぐしていきます。
「……ああ。温かい。言葉を尽くすよりも、こうして光を浴びている方が、何倍も心が満たされていくわ」
王妃は、目を閉じました。
風が吹くと、頭上の葉がサワサワと鳴り、「もっと光を!」と笑っているように聞こえました。
モフモフの寝息、土の匂い、そして太陽の熱。
王妃は、自分が「王妃」という役割を脱ぎ捨て、ただの一つの「命」として、森の呼吸と同期していくのを感じました。
しばらくして、王妃が目を開けると、顔色は驚くほど良く、瞳には若々しい輝きが戻っていました。
「ありがとう、シャル。最高の『お茶会』だったわ。お茶もお菓子もなかったけれど、光の味で、お腹がいっぱいよ」
シャルロッテは、モフモフを撫でながら、にっこりと笑いました。
「えへへ。お日様はね、一番元気が出るサプリメントなんだよ! ママが元気になって、木さんたちも嬉しそう!」
風が吹き抜け、オークの木がザワワと枝を揺らしました。それは、森からの「どういたしまして」という返事のようでした。
言葉を使わない午後のひとときは、王妃にとって、どんな宝石よりも価値のある、癒やしの時間となったのでした。




