第五百八十九話「煤けた厨房と、姫殿下の『お揃いの黒い勲章』」
その日の午後、王城の地下にある大厨房は、戦場のような熱気と、焦げたバターの匂いに包まれていました。
夕食会の準備の最中、料理長のガストンが、新人の見習いコック、ピエールを怒鳴りつけていたのです。
「こら、ピエール! なんだその顔は! 煤だらけではないか! 王族の食事を作る者が、そんな薄汚れた格好でどうする! 美しくないぞ!」
ピエールは、かまどの火の番をしていて、顔もエプロンも煤で真っ黒でした。彼は涙目で縮こまっています。
しかし、怒っているガストン自身も、夢中で鍋を振っていたため、鼻の頭やコック帽の端に、べったりと黒い煤がついていたのです。
周りのコックたちは、「ガストンさんだって黒いのに……」と思っていましたが、怖くて誰も言えませんでした。
まさに、「鍋がやかんを黒いと笑う」状況でした。
◆
そこへ、シャルロッテがモフモフを連れて、つまみ食い(味見)にやってきました。
彼女は、張り詰めた空気の中に入り込み、ガストンとピエールの顔を交互に見比べました。
「あ、ガストンおじさん。ピエールお兄さん。二人とも、お顔になにかついてるよ」
ガストンは、慌てて自分の顔を袖で拭おうとしましたが、かえって汚れを広げてしまいました。
シャルロッテは、クスクスと笑いました。
「ふふふ。二人とも、そっくりだね。双子みたい!」
「ふ、双子ですと!? 姫殿下、私のようなベテランと、この半人前を一緒にされては……」
シャルロッテは、かまどの上に置かれた、年季の入った「黒い鍋」と、その隣でシュンシュンと湯気を上げている「黒いやかん」を指差しました。
「見て。あのお鍋さんと、やかんさんも、真っ黒でそっくりだよ」
シャルロッテは、鍋の側面にそっと触れました。そして、火属性と光属性の魔法を、ごく微量、煤の中に混ぜ込みました。
すると、鍋とやかんの表面についていた煤が、ただの汚れではなく、「炎と戦った時間の記録」として、微かに金色の燐光を放ち始めました。
「この黒い色はね、汚れているんじゃないの。美味しいごはんを作るために、熱い火の中でずっと頑張った、『勲章』の色なんだよ」
シャルロッテは、ガストンの煤けた頬に、自分の小さな指を伸ばしました。
そして、その指についた煤を、なんと自分の真っ白な頬に、チョン、と付けたのです。
「あっ! 姫殿下! 何を!」
ガストンが悲鳴を上げましたが、シャルロッテは得意げに胸を張りました。
「これで、私も仲間だね! この黒い印はね、『一生懸命、美味しいものを作りました』っていう、一番かっこいいマークなんだよ。ガストンおじさんも、ピエールお兄さんも、おんなじ場所で、おんなじ火を見て頑張ったから、おんなじ顔になっちゃったんだね」
ガストンは、呆気にとられ、そしてピエールの顔を見ました。
煤だらけの頼りない顔。しかし、そこには自分と同じ「料理への必死さ」が張り付いていました。
ガストンは、自分の顔を鏡で見なくても、今の自分がどんな顔をしているか、理解しました。きっと、この若造と同じ、滑稽で、真剣な顔をしているのだろう、と。
「……ふん。なるほど。鍋もやかんも、火にかければ黒くなるのは道理か」
ガストンは、懐からハンカチを取り出すと、乱暴に、しかし力強く、ピエールの顔の煤を拭いてやりました。
そして、そのまま自分の顔も拭きました。
「ピエール。顔を洗ってこい。……しかし、いい色に焼けたな、お前も」
ピエールは、顔を輝かせました。
「は、はい! シェフ!」
シャルロッテは、自分の頬についた煤を、モフモフに舐め取ってもらいました。
モフモフの舌はザラザラしていて、くすぐったい感触がしました。
「ね、モフモフ。頑張った人の顔は、みんな似てくるんだね。だってその方がぜったい可愛いもんね!」
その日の夕食会、運ばれてきた料理はどれも絶品でした。
そして、厨房の隅には、ピカピカに磨かれた鍋とやかんが、仲良く並んで湯気を上げていました。それはまるで、戦いを終えて肩を組む、二人の戦友のようでした。




