第五百八十四話「カチコチのケーキと、姫殿下の『悲劇のヒロインごっこ』」
その日の朝、王城の窓から見える世界は、まるで洗いたてのレースのカーテン越しに見るように、輝かしく、希望に満ちていました。
リンゴの木の枝先には「春の予感」がピンク色のつぼみとなって留まり、小川は「銀色の笑い声」を上げながら流れている。
そんな絶好の日に、シャルロッテは薔薇の塔の簡易キッチンで、人生最大の(と、彼女が主張する)悲劇に直面していたのです。
「ああ、なんてこと! 見て、モフモフ。私の『薔薇色の夢見心地ケーキ』が、見るも無残な『絶望の焦げ石』になってしまったわ!」
シャルロッテは、オーブンから取り出した物体を前に、大袈裟に嘆いてみせました。
彼女がエマの手を借りずに一人で焼き上げようとしたスポンジケーキは、膨らむことを拒否し、平たく、硬く、そして健康的な褐色を超えて黒に近い色をしていました。
モフモフは、その物体をフンフンと嗅ぎ、興味なさそうに窓辺へ戻っていきました。
「今日のエリーゼお姉様とのお茶会は、完璧でなければならなかったのに! 小川のほとりの『妖精の舞踏場(と名付けた広場)』で、このケーキを食べて、永遠の友情を誓い合うはずだったのよ!」
シャルロッテは、エプロンの端で嘘泣きをしました。
普通なら、ここで魔法を使って時間を戻すか、ふわふわに作り変えるところです。
しかし、今日のシャルロッテは、この「失敗」というドラマチックなシチュエーションに、奇妙な興奮を覚えていました。端的に言えば自分に酔っていたのです。
「……待って。悲しんでいる場合じゃないわ。想像力の翼を広げるのよ、シャルロッテ」
彼女は、カチコチのケーキを皿に乗せ、リボンで飾り付けました。
そして、約束の時間にやってきた親友のエリーゼを、庭園の奥にある、木漏れ日が美しい広場へと案内しました。
「ようこそ、わが心の友、エリーゼお姉様。今日は、少し趣向を変えたお茶会なの」
エリーゼは、切り株のテーブルに置かれた「黒い物体」を見て、目をぱちくりさせました。
「シャルロッテ様、これは……新しい、異国のお菓子ですか?」
シャルロッテは、悲劇のヒロインのように伏し目がちに言いました。
「いいえ、エリーゼ。これはね、魔女に呪いをかけられた『囚われの姫君のパン』なの。塔の中に閉じ込められて、毎日泣き暮らしていた姫君が、涙とため息で焼いたから、こんなに硬くて、ほろ苦い色になってしまったのよ」
エリーゼは一瞬驚きましたが、すぐにシャルロッテの「ごっこ遊び」の意図を汲み取り、優しく微笑みました。彼女もまた、物語を愛する少女だったのです。
「まあ、なんて可哀想な姫君でしょう。でも、その呪いはどうすれば解けるのですか?」
「それはね……」シャルロッテは顔を上げました。「真実の友情を持つ二人が、勇気を出してこれを食べることによってのみ、解けるの!」
二人は、硬いケーキにナイフを入れました。ギコギコと、木を切るような音がします。
そして、一切れずつ手に取り、たっぷりの紅茶に浸しました。
「さあ、運命の一口よ」
口に入れると、焦げた苦味の中に、砂糖の甘さと、焼きすぎた小麦の香ばしさが広がりました。
決して「美味しい」とは言えません。しかし、紅茶に浸して柔らかくすれば、食べられないこともないのです。
「……んっ。意外と、香ばしくて、大人の味がしますわ」
エリーゼがくすりと笑いました。
「そうでしょう? これはね、『苦難を乗り越えた後の、思い出の味』なんだよ」
二人は、硬いケーキを紅茶でふやかしながら、お喋りに花を咲かせました。
話題は、ケーキの失敗から始まり、雲の形が何に見えるか(シャルロッテは「空飛ぶクジラ」、エリーゼは「綿菓子の城」と主張しました)、そして、道端に咲く名もなき花に、どんな大層な名前をつけるか、といったことに移っていきました。
「あの紫の花は、『宵闇の貴婦人の忘れ物』にしましょう」
「素敵! じゃあ、あっちの黄色い花は、『太陽の落とし子』ね」
失敗したケーキは、いつの間にか皿からなくなっていました。
完璧なふわふわのケーキだったら、きっとすぐに食べ終わって、「美味しかったね」で終わっていたでしょう。
けれど、この「絶望の焦げ石」のおかげで、二人は工夫して食べる楽しみと、失敗を笑い飛ばすユーモアと、物語を共有する豊かな時間を手に入れたのです。
夕暮れ時、二人は手を取り合って王城への道を戻りました。
空は、燃えるような茜色と、切ない菫色のグラデーションに染まっていました。
「ねえ、エリーゼお姉様。今日は、私の人生で一番、悲劇的で、最高にロマンチックなティーパーティーだったわ」
「ええ、シャルロッテ様。あんなに硬いケーキ、一生忘れませんわ。ふふふ」
シャルロッテは、空を見上げて宣言しました。
「明日はね、この失敗を糧にして、『復活のゴールデン・サンシャイン・クッキー』を焼くことにするわ! もちろん、絶対に焦がさない魔法をかけてね!」
失敗は、ただの失敗ではありません。
それは、想像力というスパイスをかけることで、極上の物語に変わる素材なのです。
シャルロッテとエリーゼの笑い声が、夕暮れの庭園に、銀の鈴のように響き渡りました。




