第五百七十八話「雨宿りの怪談と、姫殿下の『ホットケーキこわい』」
しとしとと雨が降る、薄暗い午後。
外での訓練も狩りも中止になり、暇を持て余した王城の男たち――ルードヴィヒ国王、アルベルト王子、フリードリヒ王子、そして近衛騎士数名――は、暖炉のある部屋に集まって、退屈しのぎに「怖いもの自慢」を始めていました。
「やはり、一番恐ろしいのは、北の森に出るという『首なし騎士』の亡霊でしょうな」
若い騎士が、声を潜めて言いました。
「いやいや、実体のない幽霊など、気合で斬ればよい。俺が本当に怖いのは……実は『毛虫』なのだ。あの足の多さ、想像するだけで鳥肌が立つ」
屈強なフリードリヒ王子が、本気で嫌そうな顔をして身震いしました。
「私は、『計算違い』ですね。予算の帳尻が合わない時の冷や汗といったら、どんな魔物よりも寿命が縮みます」
アルベルト王子が、眼鏡を直しながら真顔で言いました。
そんな中、シャルロッテがモフモフを膝に乗せて、ニコニコと話を聞いていました。
「シャルは、何が怖いんだ?」
国王が尋ねました。
シャルロッテは、急に顔色を変え(たふりをして)、体をガタガタと震わせました。
「パパ……。私、どうしてもダメなものがあるの。考えただけで、震えが止まらなくなっちゃう」
「ほう、それは何だ? お化けか? それとも雷か?」
シャルロッテは、両手で顔を覆い、指の隙間からチラリと周囲を窺って、悲鳴のような声で叫びました。
「『焼きたての、三段重ねホットケーキ』!! あれだけは、本当に怖いの!」
部屋の中が、シーンと静まり返りました。
男たちは顔を見合わせました。
「……ホットケーキ、だと?」
「あの、ふわふわで、バターとメープルシロップがたっぷりかかった、あのお菓子か?」
「ひいぃ! やめて! その名前を聞いただけで、口の中が甘くなって、とろけちゃいそうなの! あんな恐ろしいものが目の前にあったら、私、どうなっちゃうか分からないわ!」
シャルロッテは、モフモフに顔を埋めて「怖いよぉ」と嘆きました。
フリードリヒ王子が、ニヤリと悪い顔をしました。
「へえ……。天下知らずのシャルにも、そんな弱点があったとはな。よし、ひとつ、妹の度胸試しをしてやろうじゃないか」
アルベルト王子も、珍しく悪乗りに加わりました。
「恐怖を克服するには、直面するのが一番論理的な解決法だ。……おい、厨房に連絡を」
◆
数十分後。
部屋には、ワゴンに乗せられた、山のようなホットケーキが運び込まれました。
焼きたての香ばしい匂い。とろりと溶けるバター。黄金色のシロップの海。湯気がもうもうと立ち上っています。
「ほら見ろ、シャル! お前の『天敵』だぞ! どうだ、怖いか!」
フリードリヒが、皿をシャルロッテの鼻先に突きつけました。
シャルロッテは、「きゃあああ!」と叫び声を上げましたが、その手にはいつの間にかナイフとフォークが握られていました。
「こ、こわい! こんなに美味しそうな湯気、見てるだけで目が回りそう! 早くやっつけなきゃ、私がやられちゃう!」
パクッ。モグモグ。
パクッ。モグモグ。
シャルロッテは、「怖い怖い」と言いながら、ものすごい勢いでホットケーキを口に運び始めました。
その顔は、恐怖に歪んでいるどころか、至福にとろけています。
「ああ、怖い! 生地がふわふわすぎて怖い! シロップが甘すぎて怖いよぉ!」
モフモフも一緒になって、「ガウガウ(怖いなこれ!本当に怖い!)」と言いながら、端っこを猛烈な勢いで食べています。
見守っていた男たちは、あっけにとられました。
「……おい。あれは、怖がっているのか?」
「いや、どう見ても、喜んで食べているようにしか……」
「しかし、『怖い』と言い続けているぞ」
あっという間に、山盛りのホットケーキは、シャルロッテとモフモフの胃袋に収まってしまいました。
皿の上はピカピカです。
シャルロッテは、満足げにお腹をさすりながら、ほうっとため息をつきました。
「はあ……。怖かった。もうあたし、命からがらだったよ」
ルードヴィヒ国王は、ようやく事態を飲み込み、苦笑いしました。
「やられたな。我々は、シャルの口車に乗せられて、まんまとおやつを献上してしまったわけか」
フリードリヒが、呆れ半分、感心半分で聞きました。
「たくましい奴め。……で、シャルよ。今、一番怖いものは何だ?」
シャルロッテは、口の周りについたシロップをぺろりと舐めて、ニッコリと答えました。
「うん。甘いものを食べすぎて、喉が乾いちゃったから……今は、『熱い紅茶』が怖いな!」
部屋中が、ドッ! と笑い声に包まれました。
結局、最高級の茶葉を使った熱い紅茶も運ばれてきて、みんなで仲良く「怖いもの(※おやつ)」を囲む、楽しい雨の日の午後となりました。
めでたしめでたし。




