第五百七十四話「紫色の巨大な果実と、姫殿下の『食べるオーケストラ』」
その日の午後、王城の果樹園には、ひどく退屈で、酸っぱい顔をした男が立っていました。
新任の農務大臣、ボッグス男爵です。彼は、定規で測ったように真っ直ぐな口ひげを生やし、果物の「味」よりも「保存期間」や「重さ」ばかりを気にする、数字の奴隷のような人物でした。
彼が自慢げに見せびらかしているのは、隣国から取り寄せた新種の果実、「鉄皮プラム」でした。
それは、大人の頭ほどもある巨大な紫色の果実で、名前の通り、皮が鉄のように硬く、落としても割れないというのが売り文句でした。
「陛下、ご覧ください。このプラムは素晴らしい。百年経っても腐らないと言われております。これさえあれば、籠城戦になっても食糧には困りませんぞ。味は……まあ、少々ゴムのようですが、栄養はあります」
ルードヴィヒ国王は、差し出されたそのゴムのような果実を前に、げんなりとした顔をしていました。
周りの貴族たちも、「これを食べるくらいなら、城壁をかじったほうがマシだ」という顔で沈黙しています。
◆
そこへ、シャルロッテがモフモフを連れて、スキップしながらやってきました。
彼女は、その巨大で不気味な紫色の塊を見ると、目をキラキラさせて駆け寄りました。
「わあ! ボッグスおじさん、これなあに? 風船? それとも、爆弾?」
ボッグス男爵は、鼻を鳴らしました。
「姫殿下。これは食糧です。遊び道具ではありません。硬くて丈夫、それが全てです」
しかし、シャルロッテは、その果実から漂う、微かな「振動」を感じ取っていました。
彼女は、プラムの表面に耳を押し当てました。
ブン、ブン、ブン……。
中から、低い羽音のような、あるいは弦楽器をチューニングしているような音が聞こえてきます。
「違うよ、おじさん。これ、中身が『歌いたがってる』よ!」
「歌う? 果物がですか? 馬鹿馬鹿しい。中には繊維と種が詰まっているだけです」
シャルロッテは、男爵の言葉を聞き流し、自分の銀のフォークを取り出しました。
そして、果実の「ヘタ」の部分――そこだけが唯一柔らかそうでした――に、狙いを定めて突き刺しました。
「えいっ!」
プシュッ!
その瞬間、世界が変わりました。
果実の中から、果汁ではなく、目に見えるほどの濃密な「紫色の煙」が噴き出したのです。そして、その煙は、ただの空気音ではなく、ポワァ〜〜ンという、間の抜けたチューバのような音を立てて広がりました。
「な、なんだこれは!?」
男爵が仰け反ります。
シャルロッテは、吹き出した煙と香りを吸い込みました。
「ん〜! ブルーベリーと、バニラと、それからトランペットの味がする!」
彼女は、溢れ出した果肉(ゼリーのようにプルプル震えていました)をすくい、パクリと一口食べました。
途端に、シャルロッテの口から、彼女の意思とは無関係に、美しいメロディが溢れ出しました。
「♪ラン、ララ、ルリラ〜!」
それは、食べた瞬間に「喉が楽器になってしまう」、魔法の果実だったのです。
「美味しい! お腹の中で、太鼓がドンドン鳴ってるみたい!」
モフモフも、こぼれた果肉を舐めました。
すると、「ガウ、ガウ」という野太い鳴き声が、「ボン、ボン、ボボボン♪」という、リズミカルなコントラバスの音色に変わってしまいました。
モフモフ自身も驚いて、自分の喉元を前足でペタペタ触っています。
シャルロッテは、硬直しているボッグス男爵の口に、強引に果肉を捻じ込みました。
「おじさんも食べて! 難しい顔をしてないで、一緒に歌おうよ!」
男爵は「むぐっ!」と呻きましたが、次の瞬間、彼の口ひげがピクピクと震え、厳格な口調がオペラ歌手のようなバリトンボイスに変わりました。
「♪な、なんということだぁ〜! 私の威厳がぁ〜! しかし、この味は、甘美なる〜マスカットのソナタぁ〜♪」
男爵は、自分の口から飛び出す美声と、止まらないビブラートに慌てふためき、手足をバタつかせました。その姿は、まるで踊っているようです。
広場は、一瞬にして爆笑と音楽に包まれました。
国王も、アルベルト王子も、こらえきれずに果実に手を伸ばしました。
国王が食べればファンファーレが鳴り、アルベルトが食べればヴァイオリンの繊細な旋律が響きます。
硬くて不味い保存食だと思われていた「鉄皮プラム」は、実は、食べた人を強制的に愉快にしてしまう「音楽の爆弾」だったのです。
シャルロッテは、モフモフのベース音に合わせて、即興の歌を歌いながら踊り回りました。
「♪難しい会議は、あとにして〜! お口の中は、パレードだ〜♪」
ボッグス男爵は、顔を真っ赤にして歌い続けました(※止まらないのです)。
「♪これは〜、計算外だ〜! しかし、悪くない〜! アンコールを〜♪」
「あはは、おじさん、とっても可愛いよ~♪」
その日の午後、王城の庭園は、おかしな果実が奏でる、世界で一番おいしくて、一番騒々しい「食べるオーケストラ」の会場となりました。
シャルロッテの無邪気な一刺しが、大人の堅苦しい常識を、甘いメロディと笑い声に変えてしまったのでした。




