第五百六十九話「多忙な文官室と、姫殿下の『肉球レンタルサービス』」
その時期、王城の行政棟にある文官室は、年に一度の「決算期」を迎えており、まさに戦場のような有様でした。
積み上げられた書類の塔は天井に届きそうになり、ペンが紙を走る音と、絶望的なため息だけが響いています。
文官長である真面目な男、ハインリヒは、目の回るような忙しさに髪を振り乱し、つい、大声で叫んでしまいました。
「ああ、もう! 間に合わん! 人手が足りん! これほど忙しいと、もはや『猫の手も借りたい』くらいだ!」
それは、切実な悲鳴でした。
そして、運悪く(あるいは運良く?)、その悲鳴を、おやつの時間に通りかかったシャルロッテが聞いてしまったのです。
「……猫の手?」
シャルロッテは、モフモフと顔を見合わせました。
「大変よ、モフモフ。ハインリヒおじさんたちが、猫さんの手を必要としてるんだって! 助けてあげなきゃ!」
シャルロッテの行動力は、いつも斜め上に発揮されます。
彼女はすぐに庭園へ飛び出し、さらに城下町の路地裏まで足を伸ばしました。
そして、持っていた煮干しと、「みんな、お城で重要なお仕事があるよ!」という呼びかけ(動物語の魔法)を使って、緊急招集をかけたのです。
◆
一時間後。
死にそうな顔で計算をしていたハインリヒの元に、ドヤ顔のシャルロッテが現れました。
「お待たせ! 『猫の手』、たくさん借りてきたよ~!」
彼女の後ろから、ゾロゾロと入ってきたのは――。
三毛猫、黒猫、トラ猫、ブチ猫。
さらには、庭に住み着いている野良猫や、どこかの飼い猫まで、総勢二十匹以上の猫軍団でした。
もちろん、モフモフ(熊)も、猫耳カチューシャをつけて混ざっています。
「にゃーん(仕事しに来たぞー)」
「ミャオ(報酬はもらえるんだろうな)」
文官室は一瞬で、猫カフェ状態になりました。
「ひ、姫殿下!? これは一体……!」
「だって、借りたいって言ったじゃない。さあみんな、お手伝いして!」
猫たちは、「お手伝い」を開始しました。
ある猫は、積み上げられた書類の山に飛び乗って、盛大に崩壊させました(書類整理?)。
ある猫は、インク壺を倒して、決算書に前衛的な黒い足跡をスタンプしました(捺印?)。
またある猫は、計算中の文官の膝に乗り、ゴロゴロと喉を鳴らして動けなくさせました(休憩の強制?)。
モフモフに至っては、重要書類の上で堂々と昼寝を始め、ペーパーウェイトの役目を果たそうとしました(重すぎて紙が皺になりましたが)。
「ああっ! 私の計算用紙が!」
「こら、ペンをかじるな!」
「ど、どいてくれ……温かくて動けん……」
文官室は阿鼻叫喚の巷と化しました。
しかし、不思議なことに、誰も本気で怒ってはいませんでした。
殺伐としていた空気が、猫たちのマイペースな振る舞いによって強制的にリセットされ、部屋中に笑い声(と悲鳴)が溢れ出したのです。
ハインリヒは、膝の上で丸くなった茶トラ猫を撫でながら、力が抜けたように笑いました。
「……ははは。参ったな。確かに『猫の手』を借りたが、役に立つどころか、仕事が増えただけじゃないか」
シャルロッテは、キョトンとして言いました。
「えー? でも、みんなニコニコしてるよ? 猫の手はね、お仕事をするんじゃなくて、疲れた心を癒やすためにあるんだよ!」
その言葉に、文官たちはハッとしました。
確かに、猫の妨害工作のおかげで、張り詰めていた神経が緩み、逆に頭がスッキリとしてきたのです。
「……そうですね。少し根を詰めすぎていました」
「この肉球の感触……癒される。よし、あと一踏ん張りするか!」
結局、猫たちは夕方まで文官室に居座り、存分に邪魔をして(癒やして)帰っていきました。
仕事の進捗は遅れましたが、文官たちの精神衛生は劇的に回復しました。
その日の報告書には、無数の「肉球スタンプ」が押されており、それを見た国王は「……今年の決算は、ずいぶんと可愛らしいな」と、苦笑しながら承認印を押したそうです。
「猫の手も借りたい」と言っても、本当に借りると大変なことになる。
でも、その大変さが、一番の特効薬になることもあるのです。
めでたしめでたし。




