第五百六十六話「疑いの暖炉と、姫殿下の『つねって確かめる現実』」
冬の夜、王城のゲストルームでは、某国より招かれた哲学者のルネ博士が、暖炉の火を見つめながら頭を抱えていました。
彼は、眉間に深い皺を寄せ、ブツブツと呟いています。
「……この暖炉の火は、本当に熱いのだろうか? いや、私が熱いと思い込んでいるだけかもしれない。あるいは、悪意ある悪魔が、私に幻影を見せているだけかもしれない。確かなことなど、この世に何一つないのだ……」
ルネ博士は「疑うこと」のプロフェッショナルでした。彼は、目の前のテーブルも、自分の着ている服さえも、本当にあるのかどうか疑っていました。そのせいで、彼は夕食のスープにスプーンを入れることさえ躊躇していたのです(スプーンが幻影ですり抜けるかもしれないから)。
そこに、シャルロッテがモフモフを引きずって入ってきました。
彼女は、博士の深刻な悩みを聞いて、面白そうに目を丸くしました。
「ねえ、ルネおじいさん。それって、『世界が全部、夢だったらいいなゲーム』?」
ルネ博士は、真面目な顔で反論しました。
「ゲームではありません、姫殿下。これは真理への到達のための、厳格な懐疑です。もし今、私たちが夢の中にいるとしたら、どうやってそれを証明しますか?」
シャルロッテは、少し考えてから、ニカッと笑いました。
「もしここが夢ならね、もっと面白いことが起きるはずだよ! たとえば、この暖炉の火が、イチゴ味のキャンディになったりとか!」
シャルロッテは、変化魔法をこっそり使って、暖炉の薪を一本、巨大な棒付きキャンディに変えてみせました。
キャンディは、熱で溶けることなく、甘い香りを漂わせています。
「な、なんと!? 物理法則が乱れた! やはり、ここは夢なのか!?」
博士はパニックになりました。
シャルロッテは続けました。
「それにね、おじいさん。もしここが夢なら、おじいさんは空を飛べるかもしれないよ? 飛んでみたい?」
「と、飛べるわけが……いや、夢ならば可能か? しかし、もし現実だったら、私は床に激突して痛い思いをする……」
博士は、椅子の上で立ち上がりかけ、やっぱり座り込み、葛藤しました。
シャルロッテは、そんな博士の膝の上に、ドサッとモフモフを乗せました。
モフモフは、いきなり起こされて不機嫌そうに「グゥ~」と唸り、博士の太ももに、ずっしりとした重量感をかけました。
「うぐっ……! お、重い……!」
博士が呻くと、シャルロッテは言いました。
「ねえ、おじいさん。夢の中で、こんなに重たくて、あったかくて、ふわふわなものが、膝に乗ってくるかな?」
博士は、モフモフの毛並みに指を沈めました。
指先に伝わる、圧倒的な密度。生き物の体温。そして、太ももに食い込む確かな重量感。
さらに、モフモフが博士の手を「甘噛み」しました。ガブッ。
「いたっ! ……痛いぞ!」
「痛いのは、生きてる証拠だよ!」
シャルロッテはケラケラ笑いました。
「おじいさんがいくら疑ってもね、この『痛い』とか『重い』とか『あったかい』っていう感覚は、嘘をつかないよ。頭で考えるよりも、体が感じることのほうが、ずっと正直なんだもん」
ルネ博士は、噛まれた手の静かな痛みと、膝の上の温もりを感じながら、ハッとしました。
「……私は、考えることで自分を証明しようとしていた。しかし、この痛み、この重み……これこそが、私が『ここにいる』という、何よりの証拠なのか」
彼は、難しく考えすぎて、世界の手触りを忘れていたのです。
博士は、ようやく安心して、冷めかけたスープにスプーンを入れました。
カチリ、と食器が触れ合う音がして、スープの味が口に広がります。
「……うむ、滋味豊かな風味だ……。これもまた、現実の味ですね」
シャルロッテは、キャンディになった薪を舐めながら言いました。
「疑うのも楽しいけどね、信じて食べたほうが、お腹はいっぱいになるよ! それにそっちのほうが絶対可愛いもん!」
その夜、ルネ博士は久しぶりに熟睡しました。
夢の中で空を飛んだかどうかは定かではありませんが、翌朝、彼の膝にはモフモフの毛がたくさんついていて、それが何よりの「現実の証拠」として残っていました。




