第五百六十五話「離れの庭園と、姫殿下の『わがまま進化論』」
その日の午後、王城の敷地内でも滅多に人が立ち入らない、外界から隔絶された「忘れられた中庭」は、珍しい鳥たちのさえずりで満ちていました。
そこは、四方を高い壁に囲まれているため、独自の生態系が保たれている、王城の中のガラパゴスのような場所でした。
老博物学者のビーグル博士は、茂みに隠れて、双眼鏡で小鳥たちを観察していました。彼は、この庭に住む「王宮フィンチ」という鳥の研究に生涯を捧げているのです。
「ふむ……。興味深い。同じ種類の鳥なのに、あの枝にいる個体はくちばしが太く、あっちの個体はくちばしが細長い。これは、限られた餌を巡る、過酷な生存競争の結果だ」
博士は、進化を「戦い」の記録として捉えていました。生き残るために、姿を変えざるを得なかったのだと。
そこに、シャルロッテがモフモフを連れて、テトテトとやってきました。
彼女は、博士の隣にしゃがみ込み、同じように鳥たちを眺めました。
「ねえ、ビーグルおじいさん。鳥さんたちは、喧嘩してるの?」
「いいえ、姫殿下。今は休戦状態です。しかし、彼らの歴史は確かに闘争です。硬い木の実を割るために顎を強くした者だけが生き残り、花の蜜を吸うために口を尖らせた者だけが選別されたのです」
博士の説明は、学術的には正しかったのですが、少し寂しい響きがありました。
シャルロッテは、じっと鳥たちを観察しました。
太いくちばしの鳥は、硬い木の実をパチンと割って、中身を美味しそうに食べています。
細いくちばしの鳥は、花の奥に顔を突っ込んで、うっとりと蜜を吸っています。
彼女の目には、それが「仕方なく変化した姿」には見えませんでした。
「うーん、違うと思うよ、おじいさん。この子たちはね、戦ったんじゃないよ。ものすごい『食いしん坊』で『わがまま』だったんだよ!」
シャルロッテは、光属性と時間魔法を融合させました。
彼女の魔法は、鳥たちの過去の姿を、早回しのアニメーションのように空中に投影しました。
映像の中の鳥たちは、苦しんでいるようには見えませんでした。
ある鳥は、「僕はあのカリカリの実が大好き! もっと上手に食べたいなぁ」と願い、毎日木の実を齧り続けました。すると、次の世代の子供は、ちょっとだけ「くるみ割り人形」のようなくちばしを持って生まれました。
別の鳥は、「私は甘いジュースしか飲みたくないわ」と願い、花に顔を突っ込み続けました。すると、次の子供は、便利な「ストロー」のような口を持って生まれました。
「ほらね! みんな、『自分の大好きなもの』を一番美味しく食べるために、自分を『カスタマイズ』したんだよ。これはね、生存競争じゃなくて、『こだわりのグルメ大会』なの!」
ビーグル博士は、呆気にとられてその光景を見つめました。
進化とは、環境に強制されるものではなく、生命が自らの欲望(あるいは愛)に従って、能動的に選び取った結果かもしれない。
そう考えると、目の前の多様な鳥たちが、急に愛おしく、個性的に見えてきました。
「……なるほど。彼らは、生き残るために変わったのではなく、より良く生きるために、自らの形を選んだのですね」
シャルロッテは、モフモフを見ました。
モフモフは、まん丸い体と、短い手足を持っています。
「モフモフも進化したんだよね?」
「ミィ!(当然だよ!)」
「モフモフが丸くてフカフカなのはね、きっと、ご先祖様が『人間にいっぱい抱っこされたいなあ』って願ったからだよ。だから、抱き心地抜群の体になったの!」
シャルロッテにぎゅっと抱きしめられ、モフモフは満足げに目を細めました。それは、数千年の時を超えて達成された、完璧な「愛されるための進化」の頂点でした。
ビーグル博士は、ノートの「自然選択」という文字の横に、「愛の選択」と書き加えました。
「世界にこれほど色々な形の生き物がいるのは、みんながそれぞれ違う『大好き』を追いかけた結果なのですね」
その日の午後、忘れられた中庭は、厳しい競争の場ではなく、それぞれの「好き」を極めた者たちが集う、賑やかでカラフルなパーティー会場のように見えました。
シャルロッテの純粋なまなざしは、進化論の冷徹なルールを、生命の楽しげな工夫の物語へと、優しく書き換えたのでした。




