第五百五十四話「消えたチョコレートの女王と、姫殿下の『名探偵のティータイム』」
その日の午後、王城の「緑のサロン」は、重苦しい沈黙と、甘いココアの香りに包まれていた。
外は冷たい雨が降り続き、誰もサロンから出ることはできない。典型的な「閉ざされた雪山(のような雨の城)」の状況だ。
事件は、ティータイムの直前に発生した。
第一王子アルベルトと、第二王子フリードリヒが対局していたチェス盤の上から、最も重要な駒である「白のクイーン」が、忽然と姿を消したのだ。
問題は、そのチェスセットが、隣国から贈られた最高級の「彫刻チョコレート」で作られていたことだ。つまり、これは窃盗事件であり、同時に「つまみ食い事件」でもあった。
「……許せん。私のクイーンを盗み食いしたのは誰だ」
アルベルトは、眼鏡を鋭く光らせ、サロンにいる全員を容疑者として見回した。
部屋にいたのは、ルードヴィヒ国王、マリアンネ王女、執事のオスカー、そしてメイドのエマ。
外部からの侵入者はいない。犯人はこの中にいる。
◆
そこへ、シャルロッテがモフモフを抱いて現れた。彼女は、鹿撃ち帽のようなを被り、虫眼鏡を手にしていた。
「お待たせしました。名探偵シャルロッテ・ホームズ、到着だよ!」
シャルロッテは、今日は魔法を使わないことを宣言した。
「魔法で犯人を見つけるのは、ルール違反だよね。探偵はね、『小さな灰色の脳細胞(シャルの場合は、ピンク色の直感)』で、真実を編み出すの!」
シャルロッテは、現場であるチェス盤の前に立った。
白のクイーンがあった場所には、わずかなチョコレートの粉末と、微かな「指紋の跡」が残されていた。
「ふむふむ。これは、計画的な犯行だね」
シャルロッテは、容疑者たちの尋問を開始した。
まずは、フリードリヒ王子。
「兄様。クイーンがいなくなった時、何をしていたの?」
「俺か? 俺は、次の手を考えて、目を閉じて腕組みをしていた。目を開けたら、クイーンが消えていたんだ! 俺は食べてないぞ、騎士の誇りにかけて!」
フリードリヒは潔白を主張したが、シャルロッテは彼の口元に、ごく微細な茶色の粉がついているのを見逃さなかった。
次に、マリアンネ王女。
「私は、窓際で雨の成分分析をしていましたわ。チェス盤には近づいてもいません」
しかし、シャルロッテの鋭い嗅覚は、彼女の指先から漂う、カカオ特有の甘い香りを感じ取っていた。
ルードヴィヒ国王は、新聞を読んでいたと言い張った。
「余が子供の菓子を盗むわけがなかろう。威厳に関わるぞ」
だが、国王がページをめくる指の動きは、どこかぎこちなく、視線は泳いでいた。
オスカーとエマは、給仕の準備で忙しかったと証言した。しかし、二人の視線が、一瞬だけ不自然に交差したのを、名探偵は見逃さなかった。
◆
シャルロッテは、サロンの中央にある安楽椅子に深く腰掛け、指先を合わせて考え込んだ。
全員に動機(=空腹)があり、全員に機会(=一瞬の隙)があった。
しかし、クイーンは結構な大きさだ。一人で一口で食べるには大きすぎる。
「……わかったよ。謎はすべて解けた!」
シャルロッテは立ち上がり、ビシッと全員を指差した。
「犯人は……この部屋にいる、全員だよ!」
一同がざわめいた。
「な、なんだって!?」
「まさか!」
シャルロッテは、推理を披露した。
「まず、フリードリヒ兄様。兄様は、考え事をしているふりをして、クイーンの『頭』をかじったね? 口元に証拠があるよ」
「うっ……! あ、あまりにいい匂いがしたもので、つい……」
「次に、マリアンネお姉様。お姉様は、頭がなくなったクイーンを見て、『バランスが悪い』と思って、胴体の上半分を食べたでしょう?」
「……非対称性は美しくありませんから。整えるつもりで、つい……」
「そして、パパ。パパは、小さくなったクイーンを見て、『これならバレないだろう』と思って、スカートの部分をつまんだね?」
「……余は、甘い誘惑に勝てなかった……」
「最後に、オスカーとエマ。二人は、残った台座の部分を片付けるふりをして、証拠隠滅のために半分こして食べたね?」
「「申し訳ございません……!」」
そう、これは単独犯ではなかった。
「誰かが少しかじったから、自分も少しくらいいいだろう」という、人間の弱い心理が連鎖し、結果としてクイーンが跡形もなく消滅するという、集団心理トリックだったのだ。
そう彼らは完璧な共犯関係を構築したのだった。
◆
被害者であるアルベルト王子は、全員の自白を聞いて、呆れ返り、そして深く溜息をついた。
「……信じられない。王国の重鎮たちが、よってたかって私のクイーンを……」
重苦しい空気が流れるかと思いきや、シャルロッテは満面の笑みで言った。
「でもね、これで事件は解決! みんなで仲良く『美味しい秘密』を分け合ったんだから、これは『ハッピーエンドの事件』だよ!」
シャルロッテは、モフモフのポケットから、新しいチョコレートの箱を取り出した。
「はい、アルベルト兄様。これは、私からのプレゼント。今度は、みんなで分けて食べようね!」
アルベルトは、苦笑しながら箱を受け取った。
「……やれやれ。名探偵殿には敵わないな。では、罰として、全員でこの新しいチョコを食べ尽くすことにしよう」
その日の午後、サロンには、謎が解かれた安堵感と、甘いチョコレートの味が満ち溢れた。
「全員が犯人」という結末は、裁きではなく、共犯者としての温かいティータイムへと繋がったのだった。




