第五百四十六話「霊界の庭師と、姫殿下の『お花とお喋りする周波数』」
その日の午後、王城の植物園の奥深くにある「瞑想の温室」は、乳香の香りと、厳かな呪文の詠唱に満ちていました。
そこにいたのは、王国の顧問神秘家である老人、エマニュエルでした。彼は、珍しい「天界の百合」と呼ばれる白い花の前で、眉間に皺を寄せていました。
「……物質界の花よ。汝は天界の『真理』の投影なり。ゆえに、一点の曇りもなく、垂直に伸び、神聖なる沈黙を保たねばならぬ」
エマニュエルは、「照応の法則」を信じていました。
地上の花の状態が、そのまま天界の状態とリンクしているため、花が少しでも曲がったり、虫に食われたりすることは、宇宙の調和を乱す大罪だと考えていたのです。彼は、花を「管理」することで、霊界を整えようと必死でした。
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そこへ、シャルロッテがモフモフを抱いて、鼻歌交じりに入ってきました。
彼女は、エマニュエルの張り詰めた儀式の空気を、春風のようにすり抜けました。
「ねえ、エマニュエルおじいさん。そのお花さん、窮屈だって言ってるよ?」
エマニュエルは、厳格な顔で振り返りました。
「姫殿下。これは遊びではありません。この百合は、天界の『高潔な天使』と照応しているのです。私が厳しく律しなければ、天使が堕落してしまいます」
シャルロッテは、首を傾げました。彼女の目には、その百合と繋がっている「あちら側の存在」が、全く違う姿で見えていたからです。
「ううん、違うよ。あっちの世界にいるのはね、高潔な天使さんじゃなくて、お昼寝したい妖精さんだよ」
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シャルロッテは、百合の花びらに、そっと指先を触れました。
そして、光属性と共感魔法をゆっくりと融合させました。
彼女の魔法は、物質界の「花」と、霊界の「本体」を繋ぐ、見えないパイプラインを可視化させました。
すると、百合の周りの空気が揺らぎ、ホログラムのように、小さな、光り輝く半透明の姿が浮かび上がりました。
それは、エマニュエルが信じていたような、直立不動の厳めしい天使ではなく、あくびをして、葉っぱのハンモックでくつろごうとしている、愛らしい光の精霊でした。
「ほら見て! 『おじいさんが真面目すぎて、肩が凝っちゃうよ~』って言ってる!」
エマニュエルは、腰を抜かしそうになりました。
「な、なんと……! 私の知る照応理論では、百合は『純潔と規律』の象徴のはず……。これほどまでに、堕落……いや、リラックスしているとは!」
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シャルロッテは、エマニュエルに「新しい照応の儀式」を教えました。
彼女は、百合の茎を、指で優しくコチョコチョとくすぐりました。
すると、霊界の映像の中の精霊が、キャハハ! と笑い転げました。
その笑いに呼応して、物質界の百合の花が、パッと明るく開き、濃厚で甘い香りを放ち始めました。
「ね、おじいさん。こっちの世界で『楽しく』すると、あっちの世界も『楽しく』なるんだよ。それが本当の『照応』だよ!」
シャルロッテは、一方的に規律を押し付けるのではなく、こちらの世界から「楽しい波動」を送ることで、あちらの世界を元気づけるという、双方向のコミュニケーションを実践したのです。
「神聖さとは……沈黙ではなく、笑いの中にあったのですか……」
エマニュエルは、崩れ落ちるように膝をつき、そして、ぎこちなく百合の葉を撫でてみました。
精霊が、気持ちよさそうに目を細め、その光がエマニュエルの老いた手を温かく包み込みました。
「……温かい。これが、霊界の触感……」
シャルロッテは、モフモフの手を取って、百合に向かってバイバイをしました。
「えへへ。天国はね、難しい場所じゃなくて、みんながピクニックしている場所なんだよ。だから、おじいさんも、もっと肩の力を抜いていいんだよ!」
その日の午後、瞑想の温室からは、難しい呪文の代わりに、老人の穏やかな話し声と、それに応えるような花々のざわめきが聞こえてきました。
シャルロッテの愛の哲学は、神秘主義の重い扉を開け放ち、「霊界との通信は、糸電話のように気楽で楽しいものだ」という、明るい真理をもたらしたのだった。




