第五百三十八話「無限の領土と、姫殿下の『レジャーシートの王国』」
その日は、秋晴れの素晴らしい天気でした。
王城の庭園には、隣国の伯爵家から遊びに来ていた少年、マクシムの元気な声が響き渡っていました。
「よーし! 今日は『陣取り合戦』だ! 線を引いたところは、全部ボクの領土だからな!」
マクシムは、木の枝を手に持ち、広い芝生の上を駆け回っていました。
彼は、庭園の端から端まで走り、地面に線を引き、大きな声で宣言しました。
「あの噴水も、あっちの花壇も、向こうの木陰も、全部ボクの国だ! ボクは、この庭で一番大きな国の王様だぞ!」
彼は、欲張って領土を広げすぎたため、あっちへ走っては見回りをし、こっちへ走っては侵入者(通りがかりの庭師や蝶々)を追い払うのに大忙しでした。
彼の額には汗が滲み、息は切れ、美しい庭の景色を楽しむ余裕など全くありませんでした。
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その様子を、庭園の中央にある大きなケヤキの木の下で、シャルロッテとモフモフが眺めていました。
シャルロッテは、走ることも、線を引くこともしませんでした。
彼女はただ、一枚のチェック柄のレジャーシートを、木陰の平らな場所に広げただけでした。
広さは、畳二畳分ほど。シャルロッテとモフモフが座って、少し余裕があるくらいの大きさです。
「ここが、わたしの王国だよ」
シャルロッテは、バスケットからポットとクッキーを取り出し、優雅に並べました。
モフモフは、シートの上でごろんと横になり、あくびをしました。
走り回って息を切らしたマクシムが、シャルロッテの前にやってきて、鼻で笑いました。
「なんだい、シャルロッテ。そんなに狭い場所が『国』なのかい? ボクの国は、あそこの柵まで全部だぞ。君の国の百倍はある!」
マクシムは、自分の広大な領土(※ただの地面ですが)を誇らしげに指差しました。
しかし、シャルロッテは、温かい紅茶を一口飲んで、にっこりと微笑みました。
「でもね、マクシムくん。君の国には、座る椅子もないし、お菓子もないし、お昼寝する場所もないよ? ただ広くて、遠いだけじゃない?」
「うっ……。そ、それは、これから作るんだ!」
マクシムは言い返しましたが、足は棒のように疲れ、喉はカラカラでした。
広い土地を手に入れたはずなのに、彼はちっとも幸せそうではありませんでした。むしろ、広すぎる土地を管理することに追われ、不自由に見えました。
シャルロッテは、自分の「小さな王国」を指し示しました。
「わたしの国を見て。ここにはね、柔らかいクッションがあるよ。甘いクッキーもあるよ。それにね、手を伸ばせば、大好きなモフモフに触れることができるの」
シャルロッテは、モフモフのお腹を撫でました。
そして、風属性魔法をそっと使い、レジャーシートの周りにだけ、心地よいそよ風の結界を張りました。
「このシートの上だけは、世界で一番居心地がいいの。広さはね、誰かと手を繋げるくらいで、十分なんだよ」
◆
マクシムは、自分の広大な、しかし何もない領土を見渡しました。
そして、シャルロッテの小さな、しかし全てが満たされた領土を見ました。
彼の喉が、ゴクリと鳴りました。クッキーの甘い香りが、風に乗って漂ってきます。
「……そっちに入国してもいい?」
マクシムは、ついに降参しました。
「いいよ! パスポートは『笑顔』一枚だけだからね!」
マクシムは、木の枝を放り投げ、靴を脱いで、シャルロッテのレジャーシートにお邪魔しました。
座ってみると、そこは天国でした。
お尻は痛くないし、紅茶は美味しいし、何より、もう走り回らなくていいのです。
「はあぁ……。生き返った……。ボクの国、広すぎて疲れちゃったよ」
「ふふ。人にはね、座って笑い合えるだけの広さがあれば、それで幸せになれるんだよ」
その日の午後、庭園の広大な芝生は無人のままでしたが、ケヤキの下の小さな四角い空間だけは、世界で一番豊かな笑い声と幸福感に満ちていました。
遠くから見ていた庭師のハンスは、その光景に目を細めました。
「やれやれ。欲張って世界を手にれようとするよりも、手の届く範囲を愛するほうが、よほど賢い生き方ですな」
シャルロッテの純粋な哲学は、「幸せの総量は、面積ではなく、密度の濃さで決まる」という、シンプルで温かい真理を証明したのでした。




