第五百三十七話「床の上の外交と、姫殿下の『逆転ローマ作戦』」
その日の午後、王城の謁見の間は、奇妙な緊張感と、居心地の悪さに包まれていました。
遠い草原の国から、「遊牧の民」の族長である、バルカスという大男が、友好条約を結ぶために訪れていたのです。
バルカス族長は、身長二メートルを超える巨漢で、野獣の毛皮を纏い、豪快な髭を蓄えていました。
しかし、今の彼は、借りてきた猫のように小さくなっていました。
なぜなら、彼は王城のしきたりに従い、窮屈な礼服を着せられ、小さすぎる猫足の椅子に、無理やり座らされていたからです。
ルードヴィヒ国王は、玉座から厳かに語りかけました。
「バルカス殿。我が国の様式に慣れぬかもしれぬが、『郷に入っては郷に従え』と申す。どうか、リラックスしてくれ」
バルカスは、脂汗をかきながら答えました。
「う、うむ……。ですが、この『椅子』というものは、どうにも、尻が落ち着きませぬ。大地から離れると、力が抜けてしまうのです」
彼の国では、大地に直接座り、車座になって語り合うのが礼儀であり、椅子に座るのは「囚人」か「病人」だけだったのです。
しかし、彼は礼儀正しい客として、必死にエルデンベルクの流儀に合わせようと耐えていました。
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その様子を、物陰からシャルロッテとモフモフが見ていました。
シャルロッテには、バルカス族長の「大地へのホームシック」と、椅子の上の「孤独」が見えていました。
「ねえ、モフモフ。お客さんが無理をしているのは、全然可愛くないよ」
シャルロッテは、トテトテと広間の真ん中へ出て行きました。
そして、驚くバルカスと国王の前で、いきなり自分の靴を脱ぎ捨てました。
「シャル? 何をしているのだ?」
シャルロッテは、ニッコリ笑って言いました。
「パパ。『郷に入っては郷に従え』って言うけど、それって『みんなが我慢する』ってことじゃないよね? ここを、バルカスおじさんの『郷』にしちゃえばいいんだよ!」
シャルロッテは、土属性と風属性の魔法を、謁見の間の床全体に広げました。
ごごごご……。
冷たい大理石の床が、魔法の力で変質し始めました。
硬さが消え、ふかふかとした、まるで春の草原のような弾力と温かさを持つ「土のカーペット」へと変わったのです。さらに、風魔法が部屋の空気を循環させ、草原の草いきれの香りを再現しました。
「さあ、みんな! 椅子なんか捨てて、ここに座ろう!」
シャルロッテは、モフモフと一緒に床にペタンと座り込みました。
そして、バルカス族長の手を引きました。
「おじさん、降りてきて! ここなら、大地とくっつけるよ!」
バルカスは、目を見開きました。そして、耐えきれずに窮屈な椅子から立ち上がり、豪快に床にあぐらをかきました。
彼の手が、魔法で温かくなった床に触れた瞬間、その顔に、太陽のような満面の笑みが戻りました。
「おお……! これだ! この安心感だ! 姫様、ここはまるで私の故郷のテントの中のようです!」
さて、困ったのはルードヴィヒ国王と大臣たちです。
玉座に座っている王様が、床に座る客を見下ろす形になってしまいます。これでは対等な話し合いができません。
国王は、娘と客人の楽しそうな様子を見て、覚悟を決めました。
彼は、重いマントを脱ぎ捨て、玉座から降りました。
「……ええい、ままよ! 余も、今日は『草原の流儀』に従おう!」
国王が床に座ると、宰相も、騎士団長も、次々と床に座り込みました。
堅苦しかった謁見の間は、一瞬にして、車座になって語り合う「巨大なキャンプ場」へと変貌しました。
視線の高さが同じになり、床の温かさが伝わると、会話は驚くほど弾みました。
バルカスは、故郷の馬の話や、星の読み方を熱っぽく語り、国王もまた、城での暮らしの苦労話を打ち明けました。
シャルロッテは、その輪の真ん中で、モフモフを枕にして寝転がりました。
「ねえ、パパ。みんなで床に座ると、お城の天井が、すごく高く見えるね」
国王は、高く広々とした天井を見上げ、深く頷きました。
「そうだな、シャル。余は、椅子の上からでは見えない景色を、今日初めて知ったよ」
その日の外交は、条約の調印だけでなく、深い友情の結びつきを生みました。
「郷に従わせる」のではなく、「相手の郷をここに作る」。
シャルロッテの柔軟な「逆転の発想」は、異文化の壁を、床の高さまで低くして、みんなを笑顔にしたのでした。




