第五百三十五話「囁く葦の森と、姫殿下の『王様の可愛い秘密』」
その頃、王城の専属理髪師であるバルドルは、誰にも言えない秘密を抱えて、お腹を痛めていました。
彼は、毎朝ルードヴィヒ国王の髭を整えているのですが、先日、王の執務室の机の引き出しの奥に、あるものを見てしまったのです。
それは、可愛らしい猫の絵が描かれた、交換日記帳でした。
しかも、その日記の相手は、どうやら王妃エレオノーラ様らしいのです。
「威厳ある国王陛下が、王妃様と『今日のおやつは美味しかった』などという、甘い交換日記をなさっているとは……! ああ、言いたい。誰かに言いたい! 王様の意外な可愛らしさを、世界中に叫びたい!」
しかし、王のプライバシーを漏らすことは、理髪師の職業倫理に反します。バルドルは、ストレスで髭が抜けそうでした。
◆
我慢の限界に達したバルドルは、人気のない王城の裏手の森へ走りました。
そこには、葦が生い茂る小さな湿地がありました。
彼は、地面に掘った穴に向かって、思いの丈を叫びました。
「王様はーーーーっ!! 王妃様とーーーーっ!! 交換日記をしているーーーーっ!!」
ああ、すっきりした。
バルドルは、穴を埋め、安心して城へ戻っていきました。
しかし、その様子を、木陰からシャルロッテとモフモフが見ていました。
「……ふふふ。バルドルおじさん、顔が真っ赤だったね」
シャルロッテは、その秘密を聞いて、ニヤリとしました。
彼女にとって、パパとママが仲良しなのは、隠すべき秘密ではなく、もっと自慢すべき「素敵な事実」でした。
「ねえ、モフモフ。あの穴に埋めた言葉、もったいないよね?」
シャルロッテは、埋められた穴の上に立ちました。
そして、風属性と木属性の魔法を、そっと土に染み込ませました。
「種まき、種まき。言葉の種よ、芽を出して、風に乗って歌ってね!」
彼女の魔法は、バルドルの叫んだ「言葉の魔力」を養分にして、その場の葦を急速に成長させました。
ざわざわ……。
葦の葉が擦れ合い、まるで楽器のように震え始めました。
◆
翌日。
王城には、爽やかな風が吹いていました。
その風は、裏の森の葦原を通り抜け、城の窓という窓に、不思議な「囁き声」を運び込みました。
ヒュルルル……(王様はね……)
サワサワ……(王妃様と……)
ソヨソヨ……(交換日記をしてるんだよ……♪)
それは、暴露というよりは、風の精霊が楽しげに歌っているような、心地よいリズムでした。
洗濯物を干していたメイドたちが、顔を見合わせてクスクス笑いました。
「あら、聞いた? 陛下ったら、お可愛いらしい」
「今日の午後の紅茶には、ハート型のクッキーを添えましょうか」
見回りをしていたフリードリヒ王子も、風の声を聴いて、剣を収めました。
「父上も隅に置けないな。俺も、将来の妻とは交換日記をするべきか……?」
城中の人々が、その噂を聞いて、温かい気持ちになりました。
王の威厳が損なわれるどころか、「愛妻家」としての親しみやすさが加わり、城の雰囲気は以前よりもずっと柔らかくなりました。
◆
ルードヴィヒ国王は、執務室で風の音を聞き、耳まで真っ赤にしていました。
「な、なぜバレたのだ……! バルドルか! いや、しかし、誰も余を笑っておらぬな……」
そこへ、シャルロッテがモフモフを連れて入ってきました。
彼女は、父の机の上に、新しい羽根ペンを置きました。
「パパ。風さんがね、パパの日記のこと、素敵だねって歌ってたよ」
「うぐぐ……。シャル、お前も知っていたのか」
「うん! だからね、これからもいっぱい書いてね。ママも、きっと待ってるよ」
国王は、娘の笑顔と、窓の外から聞こえる穏やかな風の音に、観念したようにため息をつき、そして少しだけ嬉しそうに微笑みました。
「……仕方ない。今夜の分も、しっかり書くとしようか」
理髪師のバルドルは、自分の叫びがこんな形で広まったことに肝を冷やしましたが、王様からお咎めはなく、むしろ「正直な男」として、以前よりも信頼されるようになったそうです。
王城の裏の葦原は、その後も風が吹くたびに、王家の仲睦まじいエピソードを、楽しげに囁き続けたのでした。




