第五百三十四話「白亜の浴室と、姫殿下の『雲の上のエステサロン』」
その日の午後、王城の奥にある王妃専用の浴室は、乳白色の湯気と、甘いミルクの香りに包まれていました。
大理石で作られた広い湯船には、エレオノーラ王妃がゆったりと身を沈めています。彼女の銀色の髪はアップにまとめられ、濡れた首筋は真珠のように輝いていました。
そこへ、シャルロッテがモフモフを連れて、テトテトと入ってきました。
彼女は、濡れてもいいようにシンプルな白いワンピースの水着を着て、手にはカラフルな球体をいくつも入れたバスケットを持っていました。
「ママ、ごきげんよう! 今日はね、ここを『雲の上のサロン』にするよ!」
エレオノーラ王妃は、湯煙の向こうで優しく微笑みました。
「あら、シャル。また新しい魔法の遊びかしら? そのボールはなあに?」
「これはね、『シュワシュワ雲の素』だよ!」
それは、シャルロッテが前世の知識をヒントに、マリアンネ王女の協力で作った特製の入浴剤でした。ただし、ただ発泡するだけではありません。
シャルロッテは、ピンク色のボールを一つ、湯船に投げ入れました。
ボチャン。
シュワワワワ……!
ボールがお湯に溶けると同時に、無数の細かい泡が発生しました。しかし、その泡は水面で消えることなく、もくもくと盛り上がり、やがて湯船の上空へ向かって、ふわりと浮かび上がり始めたのです。
それは、風属性魔法と水属性魔法を融合させた、「重力に逆らう泡」でした。
「わあ……。まるで、生きた雲みたいね」
王妃が手を伸ばすと、ピンク色の泡は手のひらに乗って、ポヨンと弾みました。
シャルロッテは、次々と違う色のボールを投げ込みました。水色はミントの香り、黄色は蜂蜜の香り、紫はラベンダーの香り。
浴室はあっという間に、パステルカラーの浮遊する泡で埋め尽くされました。
「モフモフ、出番だよ!」
モフモフが湯船の縁に立つと、シャルロッテは彼にたっぷりと泡を纏わせました。
モフモフは、「泡の鎧」を身につけたようになり、そのまま王妃の背中へとダイブしました。
ポフッ。
モフモフの柔らかい毛と、弾力のある魔法の泡が、王妃の背中を優しく刺激します。それは、世界で一番柔らかいマッサージでした。
「まあ、なんて気持ちがいいの。体が軽くなって、空に浮かんでいるようだわ」
王妃は目を細め、その感触に身を委ねました。
美容のためとか、疲れを取るためとか、そんな理由付けは必要ありませんでした。ただ、このふわふわとした感触と香りに包まれること自体が、至福のエンターテインメントだったのです。
シャルロッテも湯船に入り、泡を集めて王妃の髪に飾りました。
即席の「泡のティアラ」です。
「ママ、今のママは、雲の国の女王様だよ」
「ふふ、そうね。それならシャルは、虹のプリンセスかしら」
浴室の窓から差し込む光が、宙を舞う無数の泡に反射し、部屋中に小さな虹を架けていました。
蒸気と光と香りのカオス。
それは、大人の女性が忘れていた「お風呂で遊ぶ」という純粋な喜びを、最高に贅沢な形で思い出させてくれる時間でした。
王妃は、シャルロッテの手を取り、自分の頬に寄せました。
泡で滑らかになった肌と肌が触れ合います。
「ありがとう、シャル。どんな高価なエステよりも、あなたとこうして笑い合っている時間が、私を一番綺麗にしてくれる気がするわ」
「うん! ママの笑顔は、いつだってピカピカだよ!」
一時間後。
浴室から出てきた二人は、肌も髪も艶々と輝き、体からは甘いお菓子のようないい匂いを漂わせていました。
ルードヴィヒ国王が廊下で二人を見かけ、思わず足を止めました。
「おや……? エレオノーラ、シャル。なんだか二人とも、いつもより煌めいて見えるが……?」
「うふふ。内緒ですわ、あなた。だってわたしたち、雲の上に行ってきたのですもの」
王妃は、少女のような悪戯っぽい笑みを浮かべました。
その日の午後は、薔薇の塔全体が、湯上がりの石鹸の香りと、幸福な余韻に包まれていたのでした。




