第五百三十一話「膠着する円卓と、姫殿下の『外交ワルツ』」
その日の午後、王城の大会議室は、重苦しい空気に支配されていた。
隣国との通商条約の改定を巡る会議は、もう三日も続いており、ルードヴィヒ国王と、相手国の老練な外交官・メッテルニ公爵との間で、議論は完全に停止していた。
「陛下。この条件では、我が国の利益が損なわれます」
「公爵よ。そちらの要求も、あまりに一方的ではないか」
二人は、巨大な円卓を挟んで睨み合い、言葉の応酬を続けていたが、それは一歩進んで二歩下がるような、不毛なやり取りだった。
同席していたアルベルト王子も、疲れ切っていた。
「だめだ……。議論が『堂々巡り』をしている。これでは、いつまで経っても結論が出ない」
そこへ、シャルロッテがモフモフを抱いて、おやつの差し入れ(という名目の探検)にやってきた。
彼女は、重い扉の隙間から、大人たちが円卓を囲んで、難しい顔で同じような言葉を繰り返しているのを見た。
「ねえ、モフモフ。パパたち、なんだか楽しそうだよ?」
普通なら「険悪な雰囲気」と取るところだが、シャルロッテの感性は違った。
彼女の耳には、「堂々巡りの議論」が、「一定のリズムで繰り返されるステップ」のように聞こえたのだ。
「『一歩進んで、二歩下がる』……。それって、ダンスの練習だよね?」
シャルロッテは、この会議が進まないのは、音楽がないからだと確信した。
彼女は、会議室に飛び込んだ。
「パパ! 公爵様! ダンスの練習なら、音楽がなくちゃ!」
「ダ、ダンスだと? シャル、余たちは真剣な会議を……」
「そうだよ! だって、みんなでグルグル堂々巡りしてるんでしょう? それなら、もっと楽しく回らなきゃ!」
シャルロッテは、風属性と光属性の魔法を融合させた。
彼女の魔法は、会議室の重苦しい空気を振動させ、そこに「三拍子の優雅なリズム(=ワルツ)」を発生させた。
窓ガラスが震え、カーテンが揺れ、シャンデリアがチリンと鳴る。すべてが、「ズン、タッ、タッ」というワルツのリズムを刻み始めた。
そして、シャルロッテは、円卓の中央にモフモフを置いた。
モフモフは、リズムに合わせて尻尾を振り、その場でクルクルと回り始めた。
「さあ、みなさん! 『外交ワルツ』の時間だよ!」
その瞬間、不思議なことが起きた。
魔法のリズムに当てられたメッテルニ公爵の足が、無意識にステップを踏み出したのだ。
「む……? 体が、勝手に……」
議論の膠着状態は、物理的な回転運動へと変換された。
国王も、公爵も、そしてアルベルト王子も、椅子から立ち上がり、見えないパートナーの手を取るように、優雅に回転し始めた。
書類が舞い、羽ペンが指揮棒のように振られる。
言葉の応酬は、メロディに乗った「掛け合い」へと変わった。
「(ターンしながら)関税の撤廃を……!」
「(ステップを踏んで)それは時期尚早……!」
「(スピンして)ならば、段階的な引き下げを!」
リズムに乗ることで、頑なだった思考が柔軟になり、相手の呼吸に合わせるという、「協調の精神」が芽生え始めたのだ。
彼らは、踊りながら議論を戦わせ、汗を流し、そして笑い出した。
一曲が終わる頃には、会議室は爽やかな熱気に包まれていた。
メッテルニ公爵は、額の汗を拭いながら、晴れ晴れとした顔で言った。
「ふゥ……。陛下、これほど心地よい疲労は久しぶりです。細かい条件など、どうでもよくなりましたな。お互いの『リズム』が合うことは確認できました」
ルードヴィヒ国王も、大笑いした。
「全くだ。踊ってみれば、貴殿の足運びがよくわかったよ。この条約、締結しようではないか」
停滞していた難題は、ワルツの回転エネルギーによって、あっさりと解決の方向へと動き出した。
アルベルト王子は、乱れた服を直しながら、呆れたように、しかし感心して呟いた。
「……『会議は踊る、されど進まず』と言うが、シャルの場合は『会議は踊れば進む』のか」
シャルロッテは、円卓の上で目を回しているモフモフを抱き上げた。
「えへへ。だって、難しい顔をして止まっているよりも、みんなでくるくる回ったほうが、世界は早く進むし、可愛いもん!」
その日の午後、王城の会議室は、歴史上最も非効率的で、しかし最も友好的な「ダンス・ミーティング」の舞台となったのだった。




