第五百二十六話「黒き暴れ馬と、姫殿下の『影絵のダンスパートナー』」
その日の午後、王城の馬場は、砂煙と怒号に包まれていた。
隣国から贈られた、漆黒の毛並みを持つ名馬「シュヴァルツ」が、誰の手綱も受け付けず、荒れ狂っていたのだ。
シュヴァルツは、近づく者を威嚇し、いななき、後ろ足で立ち上がっては暴れていた。
騎士団長のフリードリヒ王子が、汗だくになって手綱を握ろうとしていた。
「静まれ! 俺だ! お前の主だぞ! なぜ俺の気迫が通じない!」
フリードリヒは、「力と信頼」で馬を服従させようとしていたが、シュヴァルツの瞳には、制御不能なパニックの色が浮かんでいた。
屈強な騎士たちが数人がかりで押さえ込もうとしても、馬は暴れるばかりだった。
◆
そこへ、シャルロッテがモフモフを抱いてやってきた。
彼女は、柵の外からじっと馬の様子を観察した。
彼女の目には、シュヴァルツが人間を嫌っているのではなく、もっと別の「足元の何か」を怖がっているのが見えていた。
「ねえ、フリードリヒ兄様。お馬さん、人じゃなくて、地面を見てるよ」
シャルロッテが指差したのは、馬の足元に伸びる、黒く歪んだ「影」だった。
午後の強い日差しが、馬の体躯を地面に投影し、それが風にたなびくたてがみと共に、得体の知れない黒い怪物が足元に纏わりついているように見えていたのだ。
「影……だと? 馬鹿な、自分の影に怯えているというのか?」
フリードリヒは半信半疑だった。
シャルロッテは、柵をくぐり抜けた。
「シャル! 危ないぞ!」
しかし、シャルロッテは暴れる馬の正面ではなく、少し離れた「影」の方へ歩み寄った。
「怖くないよ、シュヴァルツ。その黒いのはね、意地悪なお化けじゃないの」
シャルロッテは、光属性と変化魔法を、ごく繊細に融合させた。
本来の逸話では、馬の向きを変えて影を見えなくするのだが、シャルロッテの解決法はもっと根本的で、遊び心に満ちていた。
彼女は、地面に落ちている「黒く恐ろしい影」の輪郭を、光の屈折操作で書き換えたのだ。
ギザギザだった影の輪郭が、みるみるうちに丸くなり、耳が生え、尻尾が短くなり……。
シュヴァルツの足元にある影は、いつの間にか、巨大な「モフモフ(子熊)」のシルエットに変わっていた。
「ほら! 足元にいるのは、可愛いお友達だよ!」
シュヴァルツは、ふと暴れるのをやめ、足元を凝視した。
さっきまで自分を追いかけてきた不定形の怪物は消え、そこには、愛嬌のある丸っこい影が、自分の動きに合わせてポヨンポヨンと揺れていた。
ヒヒン?
シュヴァルツは、恐る恐る前足で影を踏んでみた。
影のモフモフは、踏まれても怒らず、ただコミカルに形を変えるだけだ。
恐怖は、好奇心へと変わった。
シュヴァルツは、右へ跳ね、左へ回った。影のモフモフも、楽しそうに付いてくる。
それはもはやパニックではなく、「影踏み遊び」だった。
「わあ、上手! 影さんとダンスしてるみたい!」
シャルロッテが手を叩くと、シュヴァルツは落ち着きを取り戻し、荒い息を静めた。
フリードリヒは、その隙を見逃さず、しかし今度は力づくではなく、優しく馬の首を撫でた。
「……そうか。お前は、自分自身が作り出した幻影に怯えていたのか。俺としたことが、馬の心を見誤っていた」
シュヴァルツは、フリードリヒの手に鼻を擦り付けた。影が怖くないとわかれば、彼は本来の賢く従順な名馬だった。
シャルロッテは、本物のモフモフを抱き上げて言った。
「ねえ、兄様。怖いものってね、よく見ると、案外可愛い形をしているかもしれないよ。だから、隠すんじゃなくて、形を変えて仲良くなっちゃえばいいんだよ!」
フリードリヒは、妹の言葉に深く頷き、そして苦笑した。
「影さえも遊び相手に変えるとはな。……まいった。俺の完敗だ」
その日の午後、馬場では、フリードリヒ王子を乗せた名馬シュヴァルツが、足元の「丸い影」と軽やかにステップを踏む、不思議で愛らしい乗馬風景が見られたのだった。




