第五十二話「野の小さな花と、シャルロッテの指先の感謝」
その日の午後、シャルロッテは、いつもの華やかな庭園ではなく、王城の城壁沿いの、人目につかない荒れた野原を歩いていた。そこは、庭師の手が入らない、ありのままの自然が残る場所だ。
モフモフは、いつものようにシャルロッテの足元を歩いているが、シャルロッテの視線は、足元の草の間に咲く、ごく小さな、名も知らぬ青い花に注がれていた。
その花は、背が低く、目立たない。強風に晒され、他の雑草に囲まれ、日差しもまともに浴びていない。それでも、必死に、その小さな花びらを精一杯開いていた。
◆
シャルロッテは、その小さな花に、深い共感を覚えた。それは、前世で「跡取り」という巨大な存在の陰に隠れ、自分の「可愛い」をひっそりと咲かせようとしていた、過去の自分を映しているようだった。
彼女は、その花が、なぜこんなにも厳しい場所で、これほどまでに鮮やかな青を保てるのか、不思議でならなかった。
シャルロッテは、そっと膝をつき、ドレスの裾が泥で汚れるのも気にせず、その花に顔を近づけた。彼女には、その花が、周囲の困難を訴えるのではなく、ただひたすらに「私はここにいる。咲くことが私の喜び、そして本質だ」と、力強く語りかけているように感じられた。
◆
シャルロッテは、花に触れようと、そっと指を伸ばした。
彼女は、その花が、もっと良い土、もっと良い日差しを求めているわけではないことを知っていた。この花にとって、今、ここで、精一杯咲くことが、その存在の全てであり、最も尊いことなのだ。
シャルロッテは、その小さな存在の尊厳を、壊してはならないと感じた。
彼女の指先から、ごく微細な土属性の強化魔法と、光属性の治癒魔法が流れ出した。それは、花の生育を急激に促すものではなく、ただ、「この花が、今、ここに存在していること」への、無言の感謝と肯定を伝えるためだけの魔法だった。
魔法は、花が根を張る土を、ほんの少しだけ強固にし、花びらの青い色を、ほんの少しだけ鮮やかにした。
◆
その時、シャルロッテのすぐ後ろに立っていたアルベルト王子と、フリードリヒ王子が、静かに話しかけた。
「シャル。何をしているんだ?」
「兄様たち。この花、見て。ちっちゃいのに、誰にも負けないくらい、一生懸命咲いてるんだよ」
フリードリヒは、その小さな花に、感銘を受けた。
「ああ。力強さとは、何も巨大である必要はないのだな。小さくても、自分の場所で、精一杯生きることこそが、本当の強さだ」
アルベルトは、妹が花に送った、微細な感謝の魔力を感じ取っていた。
「シャル。君は、その小さな花に、生きる勇気という、最高の贈り物をしたのだな」
シャルロッテは、立ち上がり、兄たちににっこり微笑んだ。
「うん! だって、この花が、こんな厳しいところで頑張っているのを見たら、わたしも、もっともっと、わたしらしく咲かなきゃって、勇気が出るもん!」
シャルロッテは、小さな花に感謝を伝え、その場を去った。荒れた野原には、その後もその小さな青い花が、誰に見られることもなく、力強く、そして穏やかに咲き続けたのだった。