第五百十六話「緑の迷宮と、姫殿下の『すべての道はオヤツに通ず』」
その日の午後、王城の庭園にある巨大な生垣の迷路は、ちょっとした混乱に包まれていた。
この迷路は、古い時代に敵の侵入を防ぐために作られたもので、一度入ると大人でも半日は出られないと言われる難攻不落の魔窟だった。
そこに、アルベルト王子、フリードリヒ王子、マリアンネ王女、イザベラ王女の四人が挑んでいた。
理由は単純。迷路の中央にある東屋で、シャルロッテが待っているからだ。
しかし、四人は完全に迷っていた。
東の通路では、アルベルトが羊皮紙に地図を描きながら唸っていた。
「おかしい。計算上、この角を右に曲がれば中央に出るはずだが、なぜかスタート地点に戻っている。空間座標が歪んでいるのか?」
西の通路では、フリードリヒが直感だけで突き進んでいた。
「ええい、面倒だ! 壁を突き破るわけにもいかんし、とにかく風の吹く方へ走れば着くはずだ!」
北ではマリアンネが、南ではイザベラが、それぞれ行き止まりの壁の前で立ち尽くしていた。
通常なら、遭難騒ぎになるところだ。
しかし、迷路の中央にいるシャルロッテは、優雅に紅茶の準備を整え、モフモフと一緒にクッキーを並べていた。
「ねえ、モフモフ。みんな遅いね。これじゃお茶が冷めちゃうよ」
シャルロッテは、迷路の地図の全体図を広げた。
そこには、複雑怪奇なルートが記されている。
彼女は、羽ペンを取り出し、迷路の壁の線の上に、新たな線を書き加えた。それは、行き止まりを繋げ、ループを解消し、すべての道を中央へと誘導する「魔法の設計図」だった。
「よ~し! 『どっちに行っても正解』の魔法、かけちゃえ!」
シャルロッテは、土属性と空間魔法を融合させた。
ズズズ……と、迷路の生垣が生き物のように動き、通路の繋がりが組み替わっていく。
アルベルトが、諦めて「来た道を引き返そう」と後ろを向いた瞬間、そこは元の道ではなく、花が咲き乱れる新しい小道になっていた。
彼は困惑しながらも、その道を進んだ。
フリードリヒが、「もうダメだ、腹が減った」と座り込もうとした瞬間、地面がベルトコンベアのように動き、彼を運搬し始めた。
彼は、「うわわっ! 地面が俺をエスコートしている!?」と驚きながら運ばれていく。
マリアンネも、イザベラも、右に行こうが左に行こうが、あるいはその場で回ろうが、不思議な引力に導かれていった。
そして、数分後。
東西南北、四つの入り口から同時に、四人の兄姉が東屋に飛び込んできた。
「着いた!?」
「俺は、逆方向へ走っていたはずなのに!」
「私は、行き止まりの壁を抜けましたわ!」
全員が、バラバラのルート、バラバラの方法を選んだはずなのに、全員が同時に、同じテーブルの前にたどり着いたのだ。
そこには、湯気を立てる紅茶と、山盛りのスコーンが待っていた。
シャルロッテは、ポットを持ってニッコリと笑った。
「みんな、おかえりなさい! 迷子にならずに来てくれて嬉しいな♪」
アルベルトは、眼鏡を直しながら周囲を見回した。
「……シャル。これは、空間転移か? それとも位相幾何学の応用か?」
「ううん。これはね、『すべての道はオヤツに通ず』っていうルールだよ!」
シャルロッテは、モフモフにスコーンをあげながら解説した。
「難しい顔をして考えたり、がむしゃらに走ったり、立ち止まったりしてもね、最後はみんな、美味しいものの前に集まるようになってるの。だから、どっちに行っても正解なんだよ」
それは、強引な解決だったかもしれない。
けれど、疲れ切った兄姉たちは、目の前の甘い香りと、妹の笑顔を見て、難しいことを考えるのをやめた。
「……そうだな。道順などどうでもいい。結果として、ここにシャルと紅茶と美味しいお菓子がある。それが真理だ」
フリードリヒがスコーンを頬張った。
迷路はまだそこにあったが、もはや誰も迷うことはなかった。どの道を選んでも、愛しい妹と美味しいお茶が待っていることが確定しているのだから。
その日の午後、王城の迷路は、「迷う不安」を楽しむ場所ではなく、「必ず出会える安心」を楽しむ、世界で一番優しい散歩道になったのだった。




