第五百十四話「くすぐり豆の急成長と、姫殿下の『お空へのデリバリー』」
ある曇りの日の朝、庭師のハンスが、困った顔で一粒の種を眺めていました。それは、ピンク色で、時々プルプルと震える、奇妙な豆でした。
「はて、注文した覚えはないのですが……。これはいったい何の種でしょう?」
そこに、シャルロッテがモフモフを連れてやってきました。
彼女は、その豆を見るなり、ビビッときました。
「ハンスさん! その豆さんね、背伸びがしたくてウズウズしてるよ!」
シャルロッテは豆を受け取ると、庭の真ん中に指で穴を掘り、そっと埋めました。
そして、ジョウロで水をかけるのではなく、自分の指先から、風属性と土属性の混合魔法を注ぎ込みました。
「大きくなあれ! お空まで、よーい、ドン!」
ズズズ……ドォォォン!!
地面が揺れたかと思うと、緑色の太い茎が、噴水のように空へ向かって爆発的に伸び始めました。
茎は螺旋を描きながら、あっという間に王城の尖塔を追い越し、垂れ込めていた分厚い雲の中へと突き刺さりました。
「な、なんと! これは植物学の範疇を超えています!」
騒ぎを聞きつけたアルベルト王子が、測量儀を持って駆けつけました。
「緊急事態だ! 空からの侵入経路になるぞ!」
フリードリヒ王子が、剣を抜いて警戒態勢に入りました。
しかし、当のシャルロッテは、巨大な葉っぱの一枚に、モフモフと一緒に飛び乗っていました。
「いってきまーす!」
彼女が茎をくすぐると、豆の木はエレベーターのように葉っぱを上へと押し上げ始めました。
みるみるうちに地上が遠ざかり、王城がおもちゃのように小さくなっていきます。
雲を抜けると、そこは一面の白銀の世界でした。
太陽が眩しく輝き、雲海がどこまでも広がっています。
そして、豆の木の頂上には、雲でできた巨大な城――ではなく、雲でできた巨大なベッドがありました。
そこで、山のように大きな「雲の巨人」が、ゴロゴロと寝転がっていたのです。
巨人が寝返りを打つたびに、雲の下(=地上)では「ゴロゴロ……」と雷鳴が響いていたのでした。
「あ! 雷様じゃなくて、お昼寝おじさんだったんだ!」
シャルロッテは、葉っぱから雲の大地(意外とフカフカしていました)に降り立ちました。
巨人は、寝心地が悪そうに唸っています。どうやら、枕が合わなくて首が痛いようです。
「可哀想に。これじゃあ、いい夢が見られないね」
シャルロッテは、自分が持っていた「お昼寝セット(=クッションと毛布)」を取り出しました。
そして、光属性と風属性の魔法を使い、それらを「巨人サイズ」にまで膨らませました。
「はい、どうぞ! 雲より柔らかい、特製まくらだよ!」
シャルロッテとモフモフは協力して、巨人の頭の下に、巨大化したクッションを差し込みました。
すると、巨人の表情がふっと和らぎ、荒々しかった雷鳴のようないびきが、穏やかな春の風のような寝息に変わりました。
スー……、スー……。
巨人が安眠したことで、下界の曇り空からは、雷雲が消え去り、穏やかな晴れ間が広がり始めました。
「よかったね、モフモフ。おじさん、嬉しそうだよ」
「ミィミィ(それにしてもでかいな……)」
用事が済んだ二人は、豆の木の葉っぱをソリ代わりにして、滑り降りることにしました。
ヒュオオオオ!
雲を突き抜け、風を切り裂く、スリル満点のロングスライダーです。
地上に着地すると、心配して待っていた兄たちが駆け寄ってきました。
「シャル! 無事か! 上には何がいたんだ!?」
シャルロッテは、髪を風でボサボサにしながらも、満面の笑みで答えました。
「あのね、お空の巨人に、枕を届けてきたの! だからもう、雷は鳴らないよ!」
見上げると、豆の木は役割を終えたかのように、キラキラと光の粒子になって消えていきました。
後には、少しだけ甘い匂いのする、ピンク色の豆が一粒、シャルロッテの手の中に残りました。
巨人の宝を盗むどころか、自分の枕をあげて帰ってくる。
それは、欲のないシャルロッテらしい、空と大地の優しい交流でした。
その日の午後、王城の上空は、いつになく穏やかで、どこまでも高く澄み渡っていました。




