第五百十二話「扇の裏の皮肉と、姫殿下の『本音の褒め言葉合戦』」
その日の午後、王城の「青のサロン」は、極めて洗練された、しかし窒息しそうなほど退屈な空気に満ちていました。
イザベラ王女が、隣国から訪れたキャサリン伯爵夫人をもてなしていたのです。
キャサリン夫人は、社交界の重鎮であり、その口からは「お世辞」と「皮肉」が、まるでレース編みのように複雑に絡み合って紡ぎ出されていました。
「まあ、イザベラ様。今日のドレスは一段と……『個性的』でいらっしゃいますわね。わたくしの国では、そのような大胆な色使いは、よほどの勇気がある方しか身につけませんのよ」
(訳:派手すぎて品がないわね)
「あら、ありがとうございます、夫人。夫人のその落ち着いた装いも、まるで『古き良き時代の肖像画』から抜け出してきたようですわ」
(訳:古臭くて地味ね)
二人の貴婦人は、扇で口元を隠しながら、笑顔で言葉のジャブを打ち合っていました。それは、高度な知性を要する「社交という名の決闘」でした。
◆
そこに、シャルロッテがモフモフを抱いて、テトテトと入ってきました。
彼女は、二人の間のピリピリとした空気(魔力的な静電気)を感じ取りましたが、それを「敵意」ではなく、「難しいゲームをしている最中」だと解釈しました。
「ねえ、お姉様。もしかして今、二人で褒め殺しごっこをしているの?」
イザベラは、扇の隙間から引きつった笑みを見せました。
「ええ、そうよシャル。夫人は、言葉選びの達人でいらっしゃるから」
キャサリン夫人も、目を細めてシャルロッテを見ました。
「おや、可愛らしい姫殿下。その銀色の髪、まるで……『冬の霜』のように冷たく輝いておられますわね」
シャルロッテは、その言葉の裏にある「冷たさ」を敏感に感じ取りました。
彼女は、モフモフの頭を撫でながら考えました。
(言葉が、心と違う服を着ているみたい。これじゃあ、誰も嬉しくないよ)
シャルロッテは、この「ゲーム」のルールを変えることにしました。
「ねえ、夫人。そのゲーム、私も混ぜて! でもね、私のルールは『心臓がドキドキする本当のことしか言っちゃダメ』なの!」
シャルロッテは、光属性魔法を、ごく薄く、部屋全体に広げました。
それは、「嘘をつくと、扇の羽が一枚散ってしまう」という、可愛らしくも残酷な「正直者の魔法」でした。
「さあ、どうぞ! 夫人の番だよ!」
キャサリン夫人は、いつものようにお世辞を言おうとしました。
「イザベラ様、その髪飾りはとても……」
パラリ。
夫人の持っていた扇から、羽飾りが一枚、床に落ちました。
「あら!?」
「ブブーッ! 嘘だよ! 本当は、どう思ってるの?」
夫人は狼狽しましたが、魔法の空間と、シャルロッテの純粋な瞳の前では、建前が崩れ落ちていくのを感じました。彼女は、観念して、つい本音を漏らしました。
「……本当は、その髪飾りのエメラルドが、羨ましくて仕方がないのですわ! わたくしの目の色に、絶対に似合うはずなのですもの!」
静まり返るサロン。
しかし、次の瞬間、イザベラがプッと吹き出しました。
「まあ! 夫人がそんなに情熱的に嫉妬してくださるなんて! 光栄ですわ」
イザベラも、魔法の影響で本音をこぼしました。
「実はわたくしも、夫人のその姿勢の良さには、いつも憧れておりましたの。わたくしなど、コルセットがきつくて、今すぐ脱ぎ捨てたいくらいですのに!」
一度本音が漏れ出すと、止まらなくなりました。
「あなたの紅茶の趣味は最高よ!」
「あなたの声のトーンは、実はとてもチャーミングだわ!」
皮肉の応酬は、いつしか「本音の暴露大会」へと変わり、二人の貴婦人は、顔を赤らめながら、互いの「羨ましいところ」や「好きなところ」を言い合うことになってしまいました。
それは、社交界のルールからは外れていましたが、とても人間味があり、温かい光景でした。
◆
ひとしきり笑い合った後、キャサリン夫人は、散らばった扇の羽を拾い上げようとしました。しかし、シャルロッテが止めました。
「拾わなくていいよ。だって、扇がなくても、二人の顔は、隠す必要がないくらいニコニコしていて可愛いもん!」
夫人は、扇を閉じ、素顔でイザベラに向き直りました。
「……負けましたわ、シャルロッテ姫殿下。今日のサロンは、わたくしの人生で最も『品のない』、そして最も『楽しい』お茶会でした」
イザベラも、扇をテーブルに置きました。
「ええ。建前という鎧を脱ぐのも、たまには悪くありませんわね」
シャルロッテは、モフモフにクッキーを食べさせながら、満足げに言いました。
「言葉はね、飾り付けるよりも、裸ん坊のほうが、心に届くんだよ」
その日の午後、青のサロンからは、上品な薄ら笑いではなく、腹の底からの笑い声が、廊下まで響き渡っていたのでした。




