第五百十話「雪の塹壕(ざんごう)と、姫殿下の『聖なる休戦』」
その年の冬、王城は記録的な大雪に見舞われ、中庭は深い雪に埋め尽くされていた。
そして、その雪原を挟んで、二つの勢力がピリピリとした緊張状態で対峙していた。
東側は、フリードリヒ王子率いる「騎士団」。彼らは、雪かきをした雪を西側に積み上げていた。
西側は、マリアンネ王女率いる「魔導士団」。彼らもまた、除雪した雪を魔法で東側に押し返していた。
発端は、「どちらが雪捨て場の優先権を持つか」という些細な諍いだった。しかし、互いのプライドが邪魔をして引くに引けず、中庭には高い雪の壁が築かれ、冷たい「睨み合い」が続いていた。
誰も言葉を発さず、ただ相手の出方を伺う、凍てついた沈黙の戦場だった。
◆
日が暮れ、雪原が青白い月光に照らされる頃、その「中間地帯」に、小さな影が現れた。
シャルロッテだった。
彼女は、厚手の白いコートを着て、モフモフを抱き、雪の壁の間に広がる誰もいない空間へ、テトテトと歩いてきたのだ。
彼女の手には、小さなランタンが握られていた。
騎士たちも、魔導士たちも、息を潜めてその様子を見守った。
シャルロッテが何をしようとしているのか、誰もわからなかったからだ。
彼女は、雪原の真ん中に立ち止まった。
そして、近くにあった枯れ木に、光属性魔法で「小さな光の粒」をいくつか飾り付けた。
それは、暗い雪原に浮かぶ、ささやかなクリスマスツリーのようだった。
「ねえ、モフモフ。今夜は、空気が澄んでいて、歌がよく響きそうだね」
シャルロッテは、対立する両軍の存在など気にしていないかのように、静かに歌い始めた。
それは、王国の子供たちが冬の夜に歌う、古い子守唄だった。
透き通るような声が、冷たい空気に乗って、雪の壁を越え、騎士たちの耳に、魔導士たちの耳に、優しく届いた。
きよし、このよる♪
ほしは、ひかり♪
救いの御子は――♪
張り詰めていた空気が、ふわりと緩んだ。
寒さに強張っていた兵士の肩から、力が抜ける。
論理的な顔をしていた魔導士が、ふと空を見上げる。
歌が終わると、シャルロッテは、ポケットから何かを取り出し、雪の上に置いた。
それは、エマに焼いてもらった、星の形のクッキーだった。
「騎士様たちも、魔法使い様たちも、寒いでしょ? これを食べてごらんなさい」
彼女は、敵対する両者に向かって、無防備に手を振った。
その時、騎士団側の雪壁から、一人の若い騎士が、躊躇しながらも姿を現した。彼は武器を持っていなかった。手には、兵糧の「干し肉」が握られていた。
彼は、シャルロッテのクッキーの隣に、その干し肉をそっと置いた。
それを見た魔導士団側からも、一人の学生が出てきた。彼の手には、魔法実験で使う「甘いドロップ飴」があった。
彼は、干し肉の隣に、ドロップを置いた。
言葉はなかった。
しかし、それが合図となった。
騎士たちが、魔導士たちが、次々と雪壁の向こうから出てきた。
彼らは、中間地帯で顔を合わせ、少し照れくさそうに、しかし穏やかな顔で、互いの持ち寄った食料や、温かい飲み物を交換し始めた。
「……そっちの雪かき魔法、なかなか見事だったな」
「いや、そちらの体力には驚かされたよ。それにしても、この肉、うまいな」
フリードリヒ王子とマリアンネ王女も、いつの間にかその輪の中にいた。
二人は、シャルロッテが飾った光る木の下で、温かいスープを分け合っていた。
「……休戦だな、姉上」
「ええ。今夜だけはね、フリードリヒ」
シャルロッテは、モフモフと一緒に、その光景をニコニコと眺めていた。
モフモフも、騎士から干し肉をもらい、魔導士から頭を撫でられ、満足そうに喉を鳴らしている。
そこには、勝敗も、正義の主張もなかった。
ただ、寒い夜に、同じ場所で温かさを分かち合う、「人間同士」の静かな時間が流れていただけだった。
やがて、夜が更け、シャルロッテが欠伸をすると、それが「宴の終わり」の合図となった。
人々は、名残惜しそうに、しかし満ち足りた顔で、それぞれの陣地へと戻っていった。
雪の壁は、翌朝には、両者が協力して取り払われることになった。
シャルロッテは、空になったクッキーの皿を拾い上げ、空を見上げた。
「よかったね、モフモフ。雪の日は、静かに仲直りするのが、一番素敵な過ごし方だよね」
歴史に残るような大事件ではなかった。
けれど、その夜の雪原に咲いた、小さな光と歌声の記憶は、そこにいた全ての人々の心に、消えない灯火として残ったのだった。




