第五百八話「転がる巨石の丘と、姫殿下の『終わらない滑り台』」
その日の午後、王城の裏手にある急な斜面、「巨人の坂」では、低く重苦しい唸り声と、地響きが轟いていました。
そこで汗だくになっていたのは、王城の修復工事のために雇われた、怪力無双の石工、ゴライアスでした。
彼は、自分の背丈よりも大きな丸い巨岩を、山頂の城壁まで押し上げようとしていました。
全身の筋肉を隆起させ、歯を食いしばり、一歩、また一歩と岩を押し上げます。
しかし、山頂まであと数メートルというところで、足元の土が崩れ、あるいは力が尽き、巨岩はゴロゴロと音を立てて、元の場所まで転がり落ちてしまうのでした。
「くそっ! またか! なぜだ、なぜ届かない! これは呪いか!」
ゴライアスは、これで十度目の失敗に、膝をついて絶望していました。彼の行為は、まさに終わりのない徒労でした。
そこへ、シャルロッテがモフモフを抱いて通りかかりました。
彼女は、転がり落ちてきた巨岩が、土煙を上げてゴライアスの足元で止まるのを見て、パチパチと拍手をしました。
「わあ、すごいスピード! 迫力満点だね!」
ゴライアスは、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を上げました。
「姫殿下……。笑わないでください。私は、この岩を上に運びたいだけなのです。しかし、この岩は、まるで意志を持っているかのように、私を拒絶して転がり落ちるのです」
シャルロッテは、岩のそばにトテトテと歩み寄り、そのゴツゴツした表面を撫でました。
彼女の目には、岩が「拒絶」しているのではなく、全く別の感情を持っているように見えました。
「ねえ、ゴライアスおじさん。この岩さん、怒ってるんじゃないよ。『もう一回! もう一回!』って、はしゃいでるんだよ」
「はしゃいでいる……?」
「うん。だって、おじさんが一生懸命押してくれるおかげで、高いところまで行けるでしょう? そこから一気に転がり落ちるのが、ジェットコースターみたいで楽しくて仕方ないんだって!」
シャルロッテは、この「徒労」を、「労働」ではなく「岩との遊び」として再定義しました。
彼女は、土属性魔法と風属性魔法を融合させました。
彼女の魔法は、岩を軽くするわけでも、ゴライアスの力を強めるわけでもありません。
その代わり、岩が転がり落ちる斜面のコースを、滑らかで、美しく湾曲した「スロープ」へと整地したのです。
「さあ、おじさん。もう一回、遊んであげて!」
ゴライアスは、半信半疑ながらも、再び岩を押し始めました。
不思議なことに、「これは仕事だ、苦役だ」と思っていた時よりも、体が軽く感じました。岩が「遊びたがっている」と思うと、その重さが「愛嬌」のように感じられたからです。
山頂付近まで押し上げ、そして――手を離しました。
ゴロン、ゴロン、ゴォォォォ……!
巨岩は、シャルロッテが整えたコースを、猛烈な勢いで転がり落ちていきました。
その回転は、以前のような無秩序な落下ではなく、計算された美しい軌道を描き、風を切る音が、ヒュオオオという歓喜の叫びのように響き渡りました。
ドスン!
岩は、スタート地点の柔らかい土の上に、見事着地しました。
「キャハハ! 岩さん、大喜びしてるよ! 『最高だった!』って言ってる!」
シャルロッテは、モフモフと一緒に岩に駆け寄り、よくやったね、とポンポン叩きました。モフモフも、興奮して岩の周りをぐるぐると回りました。
ゴライアスは、その光景を見て、憑き物が落ちたように笑い出しました。
「ハハハ……! そうか、お前は遊びたかったのか。俺は、世界一重たい子供をあやしていたようなものだな」
彼は、岩を運ぶことを一旦諦めました。
その代わり、彼はその日一日、岩を押し上げては転がすという「巨大な岩石滑り台遊び」に興じることにしました。
岩が転がるたびに地面が固められ、結果として、翌日には強固な運搬路が出来上がっていたというのは、また別のお話。
夕暮れ時、汗だくになったゴライアスは、岩に背中を預けて座り込みました。その顔には、徒労感ではなく、充実した疲労感と、岩への奇妙な友情が浮かんでいました。
シャルロッテは、モフモフを抱き直して言いました。
「ねえ、おじさん。同じことを繰り返すのはね、無駄なことじゃないよ。一回ごとに、楽しさが積み重なっていくんだよ。ね、モフモフ!」
その日の「巨人の坂」は、苦しみの場所ではなく、岩と人間が汗を流して遊ぶ、神話的な遊び場となったのでした。




