第四百九十八話「暖炉の爆ぜる音と、姫殿下の『オレンジ色の冬ごもり』」
冬の夜、王城の外では、北風がヒュウヒュウと鳴いていました。
けれど、薔薇の塔の居室の中は、別世界のように穏やかでした。
部屋の照明は落とされ、光源は暖炉の中で燃える薪の炎だけ。
シャルロッテは、分厚い毛織のラグの上に座り込み、暖炉の柵越しに、揺らめくオレンジ色の光をじっと見つめていました。
パチッ。
薪が爆ぜて、小さな火の粉が舞い上がります。
「ねえ、モフモフ。火って、生き物みたいだね。まるでダンスをしているみたい」
シャルロッテの隣では、モフモフが仰向けに寝転がり、そのずんぐりとしたお腹を暖炉に向けていました。
彼は、冬眠の本能がくすぐられるのか、いつも以上に動きがゆっくりで、時折「グゥ……」と満足げな寝息を立てています。熊にとって、火のそばは特等席なのです。
シャルロッテは、火掻き棒で薪を少しだけ動かしました。
崩れかけた薪の中心は、ルビーのように赤く透き通り、見ているだけで頬が熱くなるようなエネルギーを放っています。
今日は、特別なことは何も起きない日でした。
だからこそ、シャルロッテは「冬の楽しみ」を準備していました。
「そろそろかな?」
彼女は、暖炉の端の、火が直接当たらない熱い灰の上に並べておいた「それ」を、トングで取り出しました。
それは、庭師のハンスが秋に収穫して保存しておいてくれた、大粒の栗です。
皮にはあらかじめ切れ目を入れてあります。
コロコロと皿の上に移された焼栗からは、香ばしい湯気と、焦げた皮の甘い匂いが立ち上りました。
「あちち……」
シャルロッテは、指先を耳たぶで冷やしながら、熱々の栗の皮を剥きました。
パリッ、と皮が割れると、中から黄金色の実が顔を出します。
「はい、モフモフ。フーフーしてね」
半分に割った栗を差し出すと、モフモフは寝転んだまま鼻をヒクヒクさせ、器用に舌で巻き取って口に入れました。
ハフハフと口を動かし、すぐにゴクリと飲み込むと、甘い余韻に浸るように目を細めます。熊にとって、木の実のローストは最高のご馳走です。
シャルロッテも、自分の分を口に放り込みました。
ホクホクとした食感。素朴で濃厚な甘み。そして、暖炉の遠赤外線でじっくり火を通したことによる、深い香ばしさ。
「……んー。冬の味だわ」
そこへ、執務を終えたルードヴィヒ国王が、疲れ切った顔で部屋に入ってきました。
彼は、娘と熊が暖炉の前で丸まっているのを見て、ふっと表情を緩めました。
「シャル。まだ起きていたのかい?」
「パパ! ここにおいでよ。ここが一番あったかいの」
国王は、重たいマントを脱ぎ捨て、堅苦しい椅子ではなく、シャルロッテの隣のラグの上にどかりと座り込みました。
王様が床に座るなんて、公務中にはありえないことですが、このオレンジ色の薄明かりの中では、それが一番正しい過ごし方に思えました。
「……ああ、暖かいな。城の暖房魔法もいいが、やはり薪の火は違う」
国王は、暖炉の火を見つめながら、大きなため息をつきました。その息と共に、一日の疲れが体から抜けていくようです。
「パパ、あーん」
シャルロッテが、剥きたての栗を差し出しました。
国王はそれをパクリと食べ、咀嚼し、そして深く頷きました。
「うまい。……何も味付けしていないのに、なぜこんなに美味いのだろうな」
「それはね、火の精霊さんが、ゆっくり時間をかけて美味しくしてくれたからだよ」
それからしばらくの間、三人は(正確には一人と一匹と一人の王は)、何も喋りませんでした。
ただ、パチパチという薪の爆ぜる音と、外の風の音だけがBGMでした。
揺れる炎を見ていると、思考がとろとろと溶けていきます。
明日の予定も、国の予算も、今はどうでもいいことのように思えてきます。
ただ、背中とお腹が暖かくて、口の中が甘い。それだけで、世界は十分に満たされていました。
「……そろそろ寝ようか」
薪が燃え尽き、赤い熾火だけになった頃、国王が言いました。
シャルロッテは、とろんとした目で頷きました。
「うん。おやすみなさい、火の精霊さん」
特別な魔法も、事件もありませんでした。
ただ、寒い夜に、暖かい場所で、美味しいものを少しだけ食べる。
それだけのことが、どんな宝物よりも贅沢に感じられた、静かな冬の夜でした。




