第四百九十四話「雪原の片手袋と、姫殿下の『ぎゅうぎゅうの幸せ』」
その日の朝、王城の窓を開けると、世界は音のない白銀に包まれていました。夜の間に、しんしんと雪が降り積もったのです。
シャルロッテは、毛皮のコートを着込んで、モフモフと一緒に誰も踏んでいない雪の庭園へと飛び出しました。
ザク、ザク、という足音だけが響く、静かな朝です。
庭園の真ん中、噴水のそばに、奇妙なものが落ちていました。
それは、鮮やかな赤色をした、手編みの毛糸の手袋でした。
ただ、サイズがおかしいのです。それは、人間用というよりは、巨人がうっかり落としていったかのような、子供が入れるほどの大きさがありました。以前、城を訪れた異国の巨漢の客人が忘れていったものか、それともマリアンネ王女の拡大魔法の失敗作か、理由はわかりません。
けれど、シャルロッテにとって、理由は重要ではありませんでした。重要なのは、それが「とても暖かそうで、入りたくなる形」をしていることでした。
「ねえ、モフモフ。あの中、きっとふわふわだよ」
シャルロッテは、手袋の手首のところから、頭を突っ込みました。
中は、羊毛の匂いと、少しだけ残っている誰かの体温の記憶で満たされていました。
彼女は、奥まで潜り込み、親指のあたりに座り込みました。風が遮られ、嘘のように暖かいのです。
「おいで、モフモフ」
モフモフも、雪を払って手袋の中に滑り込みました。
一人と一匹で、ちょうどいい広さです。
しばらくすると、入口の方で、カサコソという音がしました。
寒さに震える、一匹の野ウサギが、鼻をヒクヒクさせて中を覗いていたのです。
「寒いんでしょう? 入っておいでよ」
シャルロッテが手招きすると、ウサギは遠慮がちに飛び込んできました。
手袋の中は少し狭くなりましたが、ウサギの体温が加わって、もっと暖かくなりました。
次は、雪に埋もれそうになっていたキツネがやってきました。
キツネは、ウサギを見て少し迷いましたが、シャルロッテが「ここでは仲良しだよ」と言うと、尻尾を丸めて隙間に潜り込みました。
モフモフとキツネとウサギ。毛皮たちが触れ合って、ポカポカしています。
さらに、巡回中の兵士が一人、吹雪いてきた風を避けようと通りかかりました。彼は、雪の上に落ちている巨大な手袋を見て、目を疑いました。
「おや、なんだこれは。……中から、楽しそうな気配がするぞ」
彼が屈み込むと、中からシャルロッテが顔を出しました。
「兵隊さん、ここあったかいよ。入る?」
「ひ、姫殿下!? いえ、私は鎧を着ていますし、これ以上は物理的に無理で……」
「大丈夫。ここはね、『仲良しの数だけ広がる魔法の手袋』なんだよ」
兵士は首を傾げながらも、寒さに耐えかねて、片足からずるずると入ってみました。
不思議なことに、手袋は破れることもなく、むにゅんと伸びて、大人の男性と鎧の分まで飲み込んでしまいました。
中はもう、ぎゅうぎゅう詰めです。
シャルロッテの肩にモフモフが乗り、その隣にウサギがいて、キツネが足元で丸まり、兵士が膝を抱えて座っています。
誰かが動くと、全員がむにゅっと動きます。
息をするたびに、手袋全体が生き物のように膨らんだり縮んだりします。
「……く、苦しくないですか、姫殿下?」
「ううん。ぎゅうぎゅうだから、寂しくてとってもあったかいの!」
シャルロッテは、兵士の腕とモフモフの毛皮に挟まれて、とろんとした目で言いました。
外では、風がビュービューと吹いています。
でも、赤い手袋の中は、別世界でした。
動物の匂い、人間の体温、ウールの香り。それらが混ざり合って、一種の「生命の熱」となって、全員を包み込んでいます。
そこには、身分の差も、種族の違いもありませんでした。ただ、「寒さをしのごうとする仲間」としての連帯感だけがありました。
やがて、みんなの呼吸のリズムが揃い始めました。
スー、ハー。スー、ハー。
手袋は、雪原の中で、赤く温かい心臓のように、静かに脈動していました。
しばらくして、雪が止み、太陽が顔を出しました。
シャルロッテたちは、名残惜しそうに、一つ、また一つと手袋から這い出しました。
「あったかかったね」
外の空気は冷たいけれど、みんなの体には、分け合った熱がまだ残っていました。
キツネとウサギは森へ帰り、兵士は敬礼して持ち場へ戻りました。
シャルロッテは、空になった赤い手袋を拾い上げ、パンパンと雪を払いました。
それは、不思議なことに、元の大きさに戻っていました。
「ありがとう、手袋さん。また、寒い日に来てね」
彼女はそれを、目立つように木の枝に掛けました。
また誰か、凍えた旅人が見つけて、ひとときの温もりを得られるように。
シャルロッテとモフモフは、手をつないで城へと帰りました。
その足取りは、ぎゅうぎゅうの幸せを知った分だけ、行きよりもずっと軽やかでした。




