第四百八十九話「乳の海の撹拌と、姫殿下の『天の川づくり』」
それは、王国の歴史書に「白き天地創造の日」として刻まれることとなる、壮大なる午後のことであった。
事の発端は、酪農祭で献上された、余りあるほどの新鮮なミルクだった。
シャルロッテは、王城の中庭にある巨大な円形の噴水を指差し、高らかに宣言した。
「ここに、ミルクの海を作ります! そして、世界で一番大きなバターを作るの!」
その号令一下、噴水の水は抜かれ、代わりに白濁したミルクが波々と注がれた。それはまさに「乳の海」の出現であった。
しかし、この大海を撹拌し、バターへと凝縮させるには、人智を超えた力が必要であった。
シャルロッテは、庭園の巨木を一本、皮を剥いで磨き上げさせ、それを「世界の枢軸」として、噴水の中央に立てた。
そして、その柱に、極太の綱を幾重にも巻き付けた。
「さあ、西の軍勢(騎士団)と、東の軍勢(文官たち)よ! この綱を引き合うのだ!」
シャルロッテの厳かな召喚に応じ、第二王子フリードリヒ率いる屈強な騎士団が綱の右端を、第一王子アルベルト率いる知的な文官たち(と魔法士団)が左端を握った。
それは、神話の再現であった。
「せーのっ! まわせー!」
ズズズズズ……!
地響きと共に、巨大な柱が回転を始めた。
フリードリヒが筋肉を隆起させて綱を引くと、柱は右へ激しく回転し、乳の海に巨大な渦を作った。
次にアルベルトが号令をかけ、文官たちが魔力強化した腕で引き返すと、柱は左へ回転し、逆巻く波濤を生み出した。
ゴゴゴゴゴ……バシャァァン!
白き飛沫が、空高く舞い上がる。
それは単なる調理ではなかった。海をかき混ぜ、新たな大地を生み出す、原初の儀式であった。
シャルロッテは、モフモフを抱いて、その荒ぶる海の岸辺(噴水の縁)に立ち、両手を天に掲げた。
「風よ、光よ! この海に、命を吹き込んで!」
彼女は、風属性と光属性の魔法を、惜しみなく「乳の海」へと注ぎ込んだ。
魔法の風が渦を加速させ、光が飛沫の一粒一粒に宿る。
激しく撹拌されるミルクは、摩擦熱と魔力によって、黄金色の輝きを帯び始めた。
キュルルルルル……!
柱の回転が極限に達した時、奇跡が起きた。
ミルクの海から、無数の白い泡が立ち上り、それが空中で結合して、フワフワとした「甘い雲」となって空へ昇り始めたのだ。
さらに、飛び散った滴は、シャルロッテの光魔法によって結晶化し、昼間の空にきらめく「砂糖の星々」となった。
「見よ! 天の川だ!」
アルベルトが、飛び散る乳白色の光の帯を見上げて叫んだ。
「おおお! 重くなってきたぞ! 世界が固まり始めた!」
フリードリヒが、手応えの変化に吼えた。
撹拌された海は、ついに液体から固体へと相転移を起こした。
黄金色に輝く、巨大な、山のような塊が、噴水の中央に隆起したのだ。
それは、不老不死の霊薬ではないが、それ以上に人々を幸福にするもの――「究極の黄金バター」の誕生であった。
静寂が戻った中庭には、甘く濃厚な香りが満ちていた。
空には、生クリームの雲が浮かび、地面には、金平糖のような星屑が散らばっている。
ルードヴィヒ国王は、バルコニーからその天地開闢の如き光景を眺め、震える声で言った。
「……神話だ。我が娘は、ミルクから宇宙を創り、そしてバターを創ったのだ」
シャルロッテは、スプーンを手に、黄金の山の頂へと登った。
そして、最初の一口をすくい取り、パクリと食べた。
「うん! 天地創造の味だよ!」
その日、王城の人々は、パンを持って中庭に集い、神話の味がするバターを分かち合った。
そのバターは、ひと口食べるだけで、体中に力がみなぎり、心に太陽が昇るような、凄まじいエネルギーを秘めていたという。
シャルロッテの「遊び」は、日常のスケールを遥かに超え、世界そのものをかき混ぜる、原始的で祝祭的な神話の一ページとなったのだった。




