第四百八十三話「朝食のゆで卵と、姫殿下の『因果律のドミノ倒し』」
その日の朝、王城の大食堂には、いつもの優雅な朝食風景とはかけ離れた、異様な「機械仕掛け」が鎮座していた。
長大なダイニングテーブルの端から端まで、本、スプーン、ビー玉、蝋燭、紐、そして台所用品が、複雑怪奇に連結されて並べられているのだ。
その終着点、ルードヴィヒ国王の目の前には、エッグスタンドに立てられた、ただ一つの「半熟ゆで卵」が置かれている。
「……シャルロッテよ。これは、一体何ごとかね?」
国王が、目の前で揺れる「紐で吊るされたハンマー」を指差して尋ねた。
シャルロッテは、テーブルの反対側、装置の始点に立ち、誇らしげにゴーグル(伊達眼鏡)を装着した。
「パパ! これはね、『全自動・絶対楽しく卵を割るマシーン』だよ!」
マリアンネ王女が、装置の設計図(落書きに見えるが、物理演算は完璧らしい)を見ながら解説した。
「父上。これは、運動エネルギーの変換と連鎖反応を用いた、工学的芸術です。通常、卵を割るには0.5秒で済みますが、この装置は、そのプロセスを30秒に引き伸ばし、数百倍の労力をかけることで、朝食に『劇的な物語性』を付与するのです」
アルベルト王子は、コーヒーを飲みながら呆れていた。
「つまり、効率を極限まで無視した遊びということか」
「違うよ、兄様! これは『因果律のダンス』なの!」
シャルロッテは、モフモフを所定の位置(=クッションの上)に座らせた。彼もまた、この壮大な装置の重要な「生体パーツ」の一部なのだ。
「それでは、実験開始! 朝ご飯、スタート!」
シャルロッテが、最初のアクションを起こした。
彼女は、テーブルの端にある「赤い風船」を、針でポンと割った。
1.【風船の破裂】
パンッ! という音に驚いた、鳥籠の中の(おもちゃの)小鳥が、バネ仕掛けで飛び出す。
2.【ビー玉の滑走】
小鳥の嘴が、ストッパーを弾く。解放されたビー玉が、木琴の階段を転がり落ちる。
コロコロ、ピン、ポン、パン、ポン♪
軽快な音楽と共に、ビー玉は加速する。
3.【ドミノの行進】
ビー玉は、並べられた分厚い百科事典の列に激突。
バタ、バタ、バタ、バタ!
重厚な本が次々と倒れ、その衝撃がテーブルを振動させる。
4.【天秤の作動】
最後の一冊が、天秤の片方に落ちる。
ガコン!
天秤のもう片方が跳ね上がり、乗っていた「カリカリのベーコン」が宙を舞う。
5.【モフモフの跳躍】
「ミィ!(お肉だ!)」
待機していたモフモフが、ベーコンに反応してジャンプ! 見事に空中でキャッチする。
6.【風の発生】
モフモフが着地した衝撃で、ふいごが踏まれる。
ブフォオォッ!
強い風が吹き出し、目の前のロウソクの火を揺らし……その奥にある小さな帆船の模型を走らせる。
7.【液体の流出】
帆船の先端が、水差しの留め具を外す。
水差しが傾き、水が水車へと注がれる。
ジャバジャバジャバ……。
8.【歯車の回転と、最後の打撃】
水車が回ることで、紐が巻き取られる。
キリキリキリ……。
国王の目の前で、吊るされていたピコピコハンマー(先端にスプーンがついている)が、ゆっくりと持ち上がり――。
ストッパーが外れた!
パコーン!
ハンマーが振り下ろされ、スプーンの背が、ゆで卵の頭頂部を正確にヒットした。
パリッ。
殻に、美しいヒビが入る。
「「「おおおおおっ!」」」
食堂にいた全員――王族、執事、メイドたち――から、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。
ただ卵を割っただけだ。自分の手でやれば一瞬だ。
しかし、風船から始まり、重力、熱、流体、そしてモフモフの食欲を経由して辿り着いたその「ヒビ」には、壮大なドラマと達成感があった。
ルードヴィヒ国王は、ヒビの入った卵をスプーンですくい、口に運んだ。
「……うまい。これほどまでに、過程を楽しんだ卵は初めてだ。苦労して旅をしてきた味がするわい」
シャルロッテは、ベーコンを咀嚼しているモフモフを撫でながら、満足げに言った。
「えへへ。便利じゃなくても、遠回りしたほうが、ドキドキして楽しいでしょ?」
アルベルト王子も、眼鏡を直しながら認めた。
「非効率の極みだが……見事な連鎖だった。世界は、こうした無駄な繋がりの連続でできているのかもしれないな」
その日の朝食は、片付け(本を戻したり、水を拭いたり)にいつもの倍の時間がかかった。
けれど、みんなの顔には、「世界の物理法則と遊んだ」という、晴れやかな笑顔が浮かんでいたのだった。




