第四百八十二話「牧場の友情と、姫殿下の『モグモグの相棒』」
その日の午後、王城の直轄牧場は、のどかな日差しと、牧草の青い匂いに包まれていた。
しかし、柵の前では、第二王子フリードリヒが腕組みをして、難しい顔で一頭の乳牛を睨みつけていた。
「むう。この牛、『ベラ』は、どうも元気が足りないな。食欲も落ちているし、乳の出も悪い。病気か? それとも、騎士としての気合いが足りないのか?」
フリードリヒは、牛に対しても体育会系の精神論を持ち出していた。牧場主も困り顔だ。獣医に見せても、身体的な異常は見つからないという。
そこに、シャルロッテがモフモフを抱いて、お散歩にやってきた。
「フリードリヒ兄様、牛さんと睨めっこ?」
「おお、シャルか。いや、このベラがスランプ気味でな。喝を入れてやろうかと思ってるんだ」
シャルロッテは、しょんぼりと佇むベラを見た。
彼女は前世で読んだ本の内容を思い出した。牛は群れで生きる動物だが、その中には特別な関係性が存在するのだ。
「兄様。ベラちゃんはね、病気じゃないよ。きっと『親友』と離れちゃって、寂しいんだよ」
「親友? 牛にか?」
フリードリヒは目を丸くした。
「うん。牛さんにはね、特定の仲良しがいて、その子と一緒にいないと、心拍数が上がってストレスを感じちゃうんだって。人間と一緒だね」
シャルロッテの提案で、牧場主はベラの群れの配置記録を確認した。
すると、昨日の放牧場所の入れ替えで、いつも一緒にいたもう一頭の牛、「ルナ」と別のエリアに分けられていたことが判明した。
「よし、実験だ!」
フリードリヒが柵を開け、隣のエリアにいたルナを連れてきた。
ルナが近づいてくると、それまで地面を見つめて動かなかったベラが、パッと顔を上げた。
「モー」と短く鳴く。
ルナも「モー」と応える。
二頭は、劇的に駆け寄って抱き合う……わけではなかった。
ただ、のっそりと近づき、お互いの横腹が触れるか触れないかの距離に並んだだけだ。
そして、二頭同時に首を下げ、同じリズムで牧草を食べ始めた。
モグ、モグ、モグ。
時折、ザラザラした舌でお互いの首筋をひと舐めする。
ただそれだけ。しかし、ベラの尻尾はリズミカルに揺れ始め、さっきまでの悲壮感は嘘のように消え去っていた。
「……なるほど。これが『親友』か」
フリードリヒは、その静かすぎる再会に、逆に感心したようだった。
「ベタベタするわけでもなく、ただ隣にいて、同じ飯を食う。背中を預けられる戦友のようなものだな」
シャルロッテは、柵に顎を乗せて、その光景を眺めた。
「うん。言葉がなくてもね、『ここにいるよ』ってだけで、安心するんだね」
シャルロッテは、腕の中のモフモフを見た。
モフモフも、シャルロッテの腕の中で、安心しきってあくびをしている。
「私たちも一緒だね、モフモフ」
「ミィ」
フリードリヒは、何かを悟ったように頷いた。
「俺も、騎士団の副団長と離れると調子が出ないのは、そういうことだったのか……。よし、今夜はあいつを誘って、酒場で同じ飯を食うことにしよう」
その日の夕方、再会したベラからは、いつも以上に甘くて濃厚なミルクが絞れたという。
シャルロッテたちは、そのミルクで作ったソフトクリームを食べながら、並んで草を食む二頭の背中を、夕暮れまで飽きずに眺めていた。
特別な魔法は必要なかった。ただ、「仲良しを隣に連れてくる」。
それだけで世界が平和に回るという、牧場の小さな発見だった。




