第四百七十話「港の積み荷と、姫殿下の『潮風のティーパーティー』」
その日の午後、エルデンベルク王国の港町は、活気に満ちていた。
東方の国から到着した巨大な貿易船から、木箱が次々と降ろされている。箱の中身は、今年一番の収穫と言われる、芳醇な香りの最高級茶葉だった。
しかし、手違いで発注量が桁違いに多くなってしまい、倉庫に入りきらないほどの茶葉が、岸壁に山積みになっていた。
港の管理者である商人は、頭を抱えていた。
「困った……。これだけの量は、さばききれない。湿気で傷んでしまう前に、どうにかしなければ」
そこに、視察に訪れていたシャルロッテと、護衛のフリードリヒ王子が通りかかった。
シャルロッテは、山積みの木箱と、その向こうに広がる青い海を交互に見つめ、目を輝かせた。
「ねえ、フリードリヒ兄様。海って、すっごく大きなティーカップみたいだね」
フリードリヒは、波打つ海面を見て、首を傾げた。
「カップ? 確かに形は窪んでいるが、中身は塩水だぞ」
「うん。だからね、海さんに、美味しいお茶を飲ませてあげたいの!」
シャルロッテは、商人に向かって、とんでもない提案をした。
余っている茶葉を使って、この湾全体を「紅茶」にしてしまおうというのだ。
普通なら「もったいない」と怒られるところだが、商人はシャルロッテの瞳の輝きと、王家の(おそらく後で補填されるであろう)太っ腹な提案に、妙な高揚感を覚えた。
「……面白い! 腐らせるくらいなら、海神への豪快な捧げ物といくか!」
かくして、歴史上類を見ない「海のお茶会」が始まった。
フリードリヒ王子が、持ち前の怪力で木箱を軽々と持ち上げ、海に向かって放り投げる。
「うおおお! 行け、特級茶葉!」
バシャーン! と豪快な水柱が上がる。
シャルロッテは、岸壁に立ち、魔法の指揮棒(実はただの流木)を振った。
彼女は、水属性と熱魔法、そして風属性を融合させた。
「美味しくなーれ! 海さん、熱くないように、水出し紅茶にするね!」
木箱が割れ、茶葉が海中に広がると、シャルロッテの魔法が作用した。
湾内の海水が、瞬く間に透き通った琥珀色に染まっていく。
塩辛い潮風の匂いが消え、代わりに、ベルガモットとダージリンの華やかな香りが、港町全体を包み込んだ。
さらに、シャルロッテは、波の泡に魔法をかけた。
「波さんは、ミルクの泡になって!」
ザザーッと打ち寄せる波が、白くクリーミーな泡となり、海岸線に「ロイヤルミルクティー」の縁取りを描いた。
「すげえ……! 海が、本当に紅茶になったぞ!」
フリードリヒが、子供のようにはしゃいだ。
海の中では、魚たちが驚くどころか、嬉しそうに泳ぎ回っていた。
シャルロッテの魔法は、茶葉の成分を、海の生き物たちにとっての「元気が出る栄養分」に変えていたのだ。
銀色の小魚の群れが、琥珀色の海中でキラキラと光り、まるで紅茶の中に舞う砂糖の結晶のように見えた。時折、大きなクジラが潮を吹くと、その霧もまた、芳しい紅茶の香りを含んでいた。
港の人々は、仕事の手を休め、岸壁に集まってきた。
彼らは、ティーカップの代わりに自分の手ですくった空気の香りを楽しみ、琥珀色に染まった夕暮れの海を眺めた。
「こんな贅沢な景色は見たことがない」
「海全体がお茶だなんて、夢みたいだ」
シャルロッテは、モフモフを抱き上げ、海に向かって叫んだ。
「海さん! お味はどうですかー!?」
それに応えるように、大きな波がザブーンと打ち寄せ、シャルロッテとフリードリヒの足元を、温かい紅茶色の水で濡らした。
それは、「最高に美味しいよ!」という、海からの豪快な返事のようだった。
「わひゃっ! 濡れちゃった! でも、いい匂い!」
「ははは! 俺のブーツも、高貴な香りがするぞ!」
政治的な抗議も、怒りも、そこにはなかった。
あったのは、有り余る富(茶葉)を、海という自然と豪快に分かち合う、祝祭のような「無駄遣い」の楽しさだけだった。
その日の夜、港町では、海から漂う紅茶の香りを肴に、遅くまで宴が開かれた。
誰も根本的に問題を解決しなかったけれど、誰もが笑顔になった。
世界は、ただそこにあるだけで、時々とんでもなく美味しくて、楽しい場所になるのだった。




