第四百六十八話「天を突く巨木と、お喋りな栗鼠の『世界伝言ゲーム』」
その日の午後、王城の庭園の中心にそびえる、樹齢数千年の「始まりの大樹」の下は、神話的な静寂に包まれていた。
その木はあまりにも巨大で、梢は雲を突き抜けて見えず、根は地下の冥府まで届いていると言われている。それは単なる植物ではなく、この世界そのものを支える「柱」のような存在だった。
シャルロッテは、その圧倒的な樹皮に背中を預け、モフモフと一緒にお昼寝をしていた。
すると、頭上から、カサカサ、タタタッという、せわしない足音が響いてきた。
螺旋を描いて幹を駆け下りてきたのは、一匹の赤毛の栗鼠だった。
その栗鼠は、ただの動物ではない。瞳に知性を宿し、何かを訴えるように、シャルロッテの目の前でキーキーと激しく鳴き立てた。
「……どうしたの? え? 『天辺に住む鷲が、根っこに住む蛇に、文句を言えと言っている』の?」
シャルロッテは、なぜか栗鼠の言葉(古代の精霊語のようなもの)を理解した。
この栗鼠は、天界と地下界を行き来するメッセンジャー。神話の時代から、上と下の住人の悪口を伝えては、喧嘩を煽るのが役目だった。
栗鼠は言った(と、シャルロッテには聞こえた)。
『上の鷲がこう言っておる! 「地下の蛇よ、お前は暗くてジメジメして、カビ臭い! 私の高貴な羽ばたきを見習え!」とな!』
シャルロッテは、その伝言を聞いて、くすりと笑った。
彼女の目には、その悪口が、「遠すぎて会えない相手への、不器用な関心」に見えていたのだ。
「ねえ、栗鼠さん。その言葉、そのまま伝えたら喧嘩になっちゃうよ。ちょっとだけ、『翻訳』してあげようか?」
シャルロッテは、光属性魔法と言語魔法を融合させた。
彼女は、栗鼠の持つ「悪口のメッセージ」を、「愛のメッセージ」へと書き換える魔法をかけた。
「こう伝えるの。『地下の蛇さん、あなたはいつも土台を支えてくれてありがとう。私の羽ばたきは、あなたへのエールです』って!」
栗鼠は、キョトンとした顔をしたが、魔法によって「それが真実のメッセージだ」と思い込まされ、大急ぎで根元の穴へと駆け込んでいった。
しばらくすると、栗鼠が穴から飛び出してきた。今度は地下からの返信だ。
『下の蛇がこう言っておる! 「空の鷲よ、お前は眩しくて目障りだ! 落ちてきて泥にまみれろ!」とな!』
相変わらずの悪態だ。しかし、シャルロッテは首を振った。
「ううん、違うよ。それはね、『空の鷲さん、あなたは輝いていて素敵だ。たまには降りてきて、一緒にお茶でもどうですか』って言ってるんだよ!」
シャルロッテは再び、伝言に「愛の翻訳魔法」をかけた。
栗鼠は、その温かいメッセージを抱えて、再び雲の上の天辺へと駆け上がっていった。
その往復は、何度も繰り返された。
悪口は賞賛に、呪詛は祝福に、無視は招待に。
シャルロッテという「愛のフィルター」を通すことで、天と地の間で交わされる言葉は、世界で最も美しい「ラブレターの交換」へと変貌した。
やがて、夕暮れ時。
巨木全体が、不思議な現象を起こし始めた。
天辺の葉が黄金色に輝き、地下の根が温かい鼓動を響かせ、そのエネルギーが幹を通して循環し始めたのだ。
それは、長年対立していた「天」と「地」が、和解し、愛によって結ばれたことで、世界樹そのものが活性化した証だった。
栗鼠は、シャルロッテの肩に乗り、満足げに頬を擦り付けた。
『姫よ。世界は今、かつてないほど調和しておる。鷲も蛇も、お互いを想って顔を赤らめているようだ』
シャルロッテは、巨木を見上げた。
葉擦れの音が、まるで世界全体が歌う、喜びの合唱のように聞こえた。
「よかったね、モフモフ。世界はね、誰かが『優しい嘘』をついてあげるだけで、こんなに平和になるんだよ」
モフモフは、「その通りだ」と言うように、尻尾を振った。
その日、エルデンベルク王国には、新しい神話が生まれた。
『世界を支える巨木は、天と地を繋ぐ、小さなお姫様のお節介によって、永遠に緑を保つのである』
それは、誰も傷つかない、最も優しくて可愛い創世記の一ページだった。




