第四百六十五話「千年の結び目と、姫殿下の『お花の開花術』」
その日の午後、王城の謁見の間は、知的な静寂と、ピリピリとした緊張感に包まれていた。
遠い東方の「知恵の国」から訪れた賢者、ソロンが、王国の知恵を試すために、一つの奇妙な物体を差し出していたからだ。
それは、太い麻縄が幾重にも、複雑怪奇に絡み合った、巨大な球体だった。始まりも終わりも見えず、どこを引けば緩むのか皆目見当がつかない。
いわゆる、「千年の結び目」と呼ばれる難問だ。
「エルデンベルク王国の賢明なる皆様。この結び目を、一本の縄に戻すことができたなら、我が国は貴国と永劫の友好を結びましょう」
ソロンの挑戦を受け、まずはアルベルト王子が挑んだ。彼は数式と幾何学を駆使し、結び目の構造を解析しようとしたが、あまりの複雑さに額に汗を浮かべ、一時間で降参した。
次にフリードリヒ王子が挑んだ。「力づくで引っ張れば!」と怪力を込めたが、結び目は逆に固く締まるばかりだった。
マリアンネ王女も、魔法による透過透視を試みたが、「この結び目にはトポロジー的な矛盾が含まれているわ!」と叫んで匙を投げた。
賢者ソロンは、静かに微笑んでいた。
「やはり、解けませんか。これは『解こうとする心』を迷わせる結び目なのです」
王城の誰もが諦めかけた、その時。
シャルロッテが、モフモフを抱いて、その巨大な縄の塊の前にトテトテと歩み寄った。
「ねえ、ソロンおじいさん。これ、解かなきゃいけないの?」
ソロンは眉を上げた。
「もちろんです、姫様。解かなければ、ただの絡まった縄です」
シャルロッテは、首を横に振った。彼女の目には、その複雑な塊が、「混乱」ではなく、「なりたい形になれずに、うずくまっている蕾」のように見えていた。
「違うよ。この縄さんはね、一本の線に戻りたいんじゃないの。『ぎゅっ』てしてるのが好きなの。でも、今のままだと苦しいから、もっと素敵な『ぎゅっ』にしてほしいんだよ」
シャルロッテは、アレクサンドロス大王のように剣を抜くことはしなかった。
その代わり、彼女は、光属性と風属性の魔法を、指先に纏わせた。
「いくよ! 開花!」
シャルロッテは、結び目を「解く」のではなく、特定のループを「引っ張り出し」、別のループを「押し込む」という操作を、魔法の風で行った。
彼女がやっているのは、あやとり、あるいは巨大なリボン結びのアレンジだった。
グググ……ッ。
縄の塊が、生き物のように蠢いた。
シャルロッテは、絡まりを否定せず、その複雑さを利用して、立体的な構造へと組み替えていく。
結び目は、解けるどころか、さらに複雑に、しかし規則的に絡み合い――。
ポンッ!
空気の弾ける音と共に、巨大な縄の塊は、一瞬にして姿を変えた。
そこにあったのは無数のループが幾何学的に重なり合い、まるで大輪のダリアの花のように咲き誇る、巨大な縄のオブジェだった。
結び目は一つも解けていない。しかし、その姿はもはや「難問」ではなく、「芸術」だった。
「わあ! できた! 『千年の縄のお花』だよ!」
謁見の間は、静まり返った。
それは、ルール違反とも言える解決だった。しかし、目の前にある造形美は、誰も否定できないほど愛らしく、完成されていた。
賢者ソロンは、口をあんぐりと開け、やがて膝を打って大笑いした。
「ハッハッハ! これは参った! 私は解けと言ったが、まさか完成させるとは!」
ソロンは、シャルロッテの前に跪いた。
「姫様。あなたは、過去の誰もが囚われていた『解決=元に戻す』という常識を、一刀両断にされましたな。困難を、そのまま美しさに変えてしまう……これぞ、王者の知恵です」
アルベルト王子は、眼鏡を押し上げ、感嘆のため息をついた。
「絡まった問題を、無理に解きほぐすのではなく、新しい意味を与えて再構築する……。シャルロッテは、外交の極意さえも無意識に実践しているのか」
シャルロッテは、縄の花の中心に、モフモフをちょこんと座らせた。
モフモフは、縄の感触が気に入ったのか、バリバリと爪を研ぎ始めた。
「えへへ。だって、一本の紐に戻っちゃうより、きれいなお花になったほうが、ずっと可愛くて楽しいもん!」
その日の午後、難問だった「千年の結び目」は、王城の玄関を飾る、最もユニークで愛らしいモニュメントとなった。
「解決しない解決」こそが、時に世界を一番美しくするということを、シャルロッテは笑顔で証明したのだった。




