第四百五十四話「風のラプソディと、姫殿下の『目に見える韻律』」
その日の午後、エルデンベルク王国の空は、高く、蒼く、そして騒がしかった。
北から「冬の使者」と呼ばれる強い風が吹き荒れ、王城の庭園に残っていた最後の枯れ葉たちを、カサカサと乾いた音を立てて舞い上がらせていたからだ。
王城のテラスには、宮廷楽師のフェリクスが、リュートを抱えて座っていた。彼は、新しい季節のための曲を作ろうとしていたが、風の音が邪魔をして、旋律が浮かばずにいた。
「困ったな。風が強すぎて、私の心の弦が震えない。これでは、ただの雑音だ」
そこへ、シャルロッテがモフモフを連れてやってきた。彼女の銀髪は風になびき、まるでそれ自体が光の糸のようだった。
シャルロッテは、フェリクスの横に立ち、耳を澄ませた。
「フェリクスお兄さん。雑音じゃないよ。これはね、風さんが、韻を踏んでいるんだよ」
「韻、ですか?」
シャルロッテには、聞こえていた。
高い塔を吹き抜ける風は「ヒュルリ」。
地面を転がる落ち葉は「カサリ」。
そして、遠くの森が揺れる音は「ザワリ」。
それらは無秩序ではなく、ある一定の法則――世界のリズム――に従って繰り返されていた。
「ねえ、モフモフ。一緒に歌おうか」
シャルロッテは、テラスの先端に立ち、指揮者のように両手を広げた。
彼女は、風属性魔法と、少しの光属性魔法を、空気中に溶け込ませた。それは、風を操るのではなく、風の「通り道」に色をつける魔法だった。
ヒュルリ、ララ。
カサリ、ルル。
シャルロッテの指先が動くたび、見えない風の流れが、薄い水色の光の帯となって可視化された。
風は、ただ吹き抜けるのではなく、塔の周りを螺旋状に旋回し、落ち葉を五線譜の音符のように空中に配置した。
「おお……! 風が、譜面になっている!」
フェリクスは驚き、慌ててリュートを構えた。
シャルロッテが作り出した「風の韻律」に合わせて、彼が爪弾く。
ポロン、と響く弦の音が、風の音と重なり、完璧な和音を生み出した。
「ザワリ、森が歌うよ」とシャルロッテが言えば、低い風がベース音のように響く。
「キラリ、光が跳ねるよ」と彼女が空を指せば、雲間からの光が、高音のスタッカートのように降り注ぐ。
それは、誰も言葉を発しない、風と光とリュートだけの即興詩だった。
庭園の木々も、そのリズムに合わせて枝を揺らし、まるでダンスを踊っているようだ。
モフモフも、「ミイッ(そこだよ!)」と、合いの手を入れるように吠えた。
曲は、徐々にテンポを上げていった。
秋の終わりの切なさと、冬の訪れの厳しさが、風の強弱となって表現される。
落ち葉の舞踏がクライマックスを迎えた、その時。
ピタリ。
シャルロッテが指揮の手を止めると同時に、風が止んだ。
世界から、すべての音が吸い込まれたような静寂が訪れた。
その静寂こそが、この曲の最後のフレーズだった。
灰色の空から、ひらり、と白いものが落ちてきた。
雪だ。
初雪が、音もなく舞い降りてきた。
「……ああ。曲の終わりは、『白』だったのですね」
フェリクスは、リュートを置き、感動のため息をついた。
激しい風のラプソディの後に訪れた、無音の雪。その対比こそが、季節の移ろいという詩の、最も美しい結びだった。
シャルロッテは、手のひらに落ちた雪の結晶を見つめた。
「ねえ、フェリクスお兄さん。世界はいつだって、素敵な歌を歌っているね。私たちは、それにちょっとだけ、伴奏をつけるだけでいいんだよ」
彼女は何かを解決したわけではない。誰も救ってはいない。
ただ、そこにあった風と季節の変わり目を、全身全霊で味わい、一つの美しい「時間」として昇華させただけ。
雪が、庭園を薄化粧していく。
二人はしばらくの間、その白い静寂という音楽に、じっと耳を傾けていた。




