第四百四十一話「共鳴する銅の塔と、姫殿下の『世界システム』」
その日の夕暮れ、王城の広大な中庭には、異様な建造物がそびえ立っていた。
それは、マリアンネ王女が建造した、高さ十メートルにも及ぶ巨大な銅のコイルを巻きつけた塔だった。塔の頂点には、巨大な球体が据えられ、周囲の空気は静電気のような緊張感で満ちていた。
マリアンネは、白衣の裾を風になびかせ、狂気にも似た情熱的な瞳で空を見上げていた。
「見て、シャル。これこそが未来よ。有線による魔力供給はもう古い。この塔は、大地と大気の『固有振動数』に干渉し、魔力を無線で、瞬時に、世界の果てまで届ける『世界システム』の雛形なの!」
彼女の言葉は、いつもの冷静な分析とは違い、未来を見通す予言者のようだった。
周囲には、アルベルト王子やフリードリヒ王子、そして興味津々の貴族たちが集められ、それぞれ手に「空の魔石」を持たされていた。
「姉上、この石を持って立っているだけで、本当に光るのか? 何の仕掛けもないぞ」
「フリードリヒ、黙って集中して。全ては『共鳴』にかかっているの」
シャルロッテは、モフモフを抱き、その巨大な銅の塔の足元に立っていた。
彼女の肌には、ビリビリとした心地よい刺激が伝わっていた。それは、恐怖ではなく、世界そのものが深呼吸をする直前のような、震える予感だった。
「ねえ、お姉様。空気が、歌いたがっている匂いがするよ」
マリアンネは、制御盤のレバーを握りしめた。
「ええ、シャル。宇宙の秘密は、エネルギー、周波数、そして振動にあるの。今、私がこのスイッチを入れると、塔から高周波の魔力振動が放たれる。それが空間そのものを媒体として、あなたたちの手の中の石と共鳴するはずよ!」
マリアンネがレバーを引いた。
ブゥゥン……。
低く、腹の底に響くような唸り声が、塔から発せられた。
銅のコイルが紫色の微光を帯び始める。しかし、光は弱く、不安定に明滅していた。
「くっ……! 周波数が合わない! 大気のノイズが多すぎるわ。もっと純粋な、3、6、9の倍音が必要なのに!」
マリアンネが叫ぶ。実験は、理論通りにはいかないようだった。振動が不協和音を奏で、塔はガタガタと震え出した。見物人たちが不安そうに後ずさる。
しかし、シャルロッテは逃げなかった。彼女は、その不協和音の中に、迷子の音符を見つけたのだ。
「違うよ、お姉様。機械の音だけじゃ、空とはお話できないの」
シャルロッテは、塔の振動に、自分の「鼓動」を合わせようとした。
彼女は目を閉じ、モフモフの温かい体温を感じながら、自分の心臓の音を聴いた。トクトク、トクトク。
そして、彼女は、そのリズムに合わせて、小さな足で地面をタンプ、タンプと踏み鳴らし始めた。
「三つ数えて、トントン。六つ数えて、トントン。九つ数えて、パッ!」
それは、彼女なりの「宇宙のリズム」への介入だった。
シャルロッテが刻むリズムは、不思議なことに、塔の荒ぶる振動と同期し始めた。彼女の体から放たれる虹色の魔力が、銅のコイルを駆け上がり、不規則だった振動を、美しく整列された「波」へと変えていく。
ジジジ……バチッ!
塔の頂上の球体から、目に見えるほどの魔力の稲妻が迸った。しかし、それは雷のような破壊の光ではない。もっと繊細で、レース編みのように広がる、紫と銀の光の網だった。
「共鳴が……始まったわ! シャル、あなたが『人間発振器』となってくれて、周波数を安定させたのね!」
マリアンネが叫んだ瞬間、奇跡が起きた。
中庭にいる全員の手の中で、何とも繋がっていないはずの「空の魔石」が、一斉に強烈な光を放ち始めたのだ。
アルベルトの手の中で、フリードリヒの手の中で、そしてオスカーやエマの手の中で、石がまるで小さな星になったかのように輝き出した。
シュゥゥゥ……ン。
空気中を、目に見えないエネルギーの川が流れている。
シャルロッテが手を掲げると、彼女の指先からも、パチパチと小さな虹色の火花が散り、それが中空で蛍のように舞った。
「わあ……! 見て、モフモフ! 空気が電気になって、みんなと手を繋いでいるよ!」
それは、電線もパイプもない、ただ「空間」を共有しているだけで、エネルギーと光を分かち合えるという、幻想的で未来的な光景だった。
庭園の木々さえもが、その魔力に感応し、葉の先から微かな燐光を放っている。
フリードリヒが、光る石を掲げて笑った。
「すげえ! 俺の剣にも、この見えない力が満ちていくのがわかるぞ! これが科学と魔法の融合か!」
アルベルトも、知的な興奮を隠せなかった。
「繋がっていないのに、繋がっている……。これは、物理的な距離を無効化する、究極の連帯だ」
マリアンネは、塔の計器が示す完璧な数値を見て、恍惚としていた。
「完成したわ……。シャルロッテの愛の振動数が、世界システムの最後の鍵だったのよ。私たちは今、宇宙の鼓動とリンクしている!」
実験は、問題を解決したわけではなかった。ただ、そこにいる全員に、「世界は見えない力で満ちていて、私たちはその一部である」という、ビリビリと痺れるような驚異を体験させただけだ。
やがて、塔の出力が下がり、光の網は静かに消えていった。
しかし、中庭には、オゾンのような清冽な匂いと、肌に残る心地よい痺れ、そして「世界と繋がった」という余韻が漂っていた。
シャルロッテは、身体の毛が静電気で少し逆立ってしまったモフモフを見て、ケラケラと笑った。
「あはは! モフモフ、ビリビリの毛玉になってる! 見えない力って、くすぐったくて面白いね!」
その日の夕暮れ、王城は「科学と魔法と愛の共鳴」という、新しいエネルギーの予感に包まれていた。それは、誰も傷つけず、ただ世界を明るく照らす、未来の光だった。




