第四十三話「仕立て屋ヨハンの古びた鋏と、王女の感謝の刺繍」
城下町の仕立て屋「銀の針」の主人、ヨハン・シュナイダーは、最近少し元気がなかった。
彼の仕事は相変わらず丁寧だが、道具の手入れを怠りがちになっていた。特に、祖母から受け継いだ、彼にとって一番大切な古い鋏は、長年の使用で刃こぼれが目立っていた。
「ヨハンさん、どうしたの? その鋏、なんだか寂しそうだよ」
ドレスの仕上がりを確認に店を訪れたシャルロッテは、作業台に置かれた鋏を見て、尋ねた。
「ああ、殿下。これは祖母から受け継いだ大切な鋏でしてね。もう年季が入ってしまいまして。新しいものに替えればいいのですが、これでないと、どうも最高の布が切れない気がして」
ヨハンは、そう言って苦笑した。鋏を替えれば、店の評判を落とすことなく仕事ができる。しかし、彼にとってその鋏は、技術の継承と家族の思い出が詰まった、誇りの象徴だった。
「ねえ、ヨハンさん、あたしにこの鋏、ちょっと預けてみない?」
「え、姫殿下、それはいったい……?」
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王城に戻ったシャルロッテは、この問題を解決しようと考えた。
ヨハンさんの大切なものを、ただ新しいものに替えるのは可愛くない。思い出と誇りをそのままに、輝かせてあげることが必要だ。
シャルロッテは、まずマリアンネに相談し、金属の原子構造を安定させる魔法を習得した。次に、イザベラ王女に協力を仰ぎ、裁縫と刺繍の技術を教わった。
「シャル、あなたのために、私の最高の技術を教えるわ!」と、イザベラは妹の純粋な思いに快く協力した。
数日後、シャルロッテは、誰もいない王城の工房にこもり、作業を始めた。
鋏に、土属性魔法を応用した金属強化と安定の魔法を優しくかけた。刃こぼれは直らないが、金属そのものが強靭になり、今後一切劣化しないようにした。そして、光属性魔法で、祖母の時代から続く「銀の針」の誇りを象徴する、美しい銀色の光を宿らせた。
さらに、シャルロッテは、鋏の柄の部分に丁寧に布を巻いて、イザベラから習った繊細な刺繍を施した。刺繍は、祖母の面影を思わせる、小さな銀の薔薇だ。その刺繍には、「ヨハンの誇りは、王家が守ります」という、無言の感謝と肯定のメッセージが込められている。
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再び店を訪れたシャルロッテは、ヨハンに、磨き上げられ、刺繍が施された鋏を渡した。
「ヨハンさん。その鋏はね、ヨハンさんの大切な歴史だから、新しいものに替えなくていいの。だって、歴史は可愛くて、とっても大切な宝物だもん!」
ヨハンは、受け取った鋏を見て、言葉を失った。
柄に施された小さな銀の薔薇の刺繍。そして、柄から伝わってくる、温かい魔力の波動。彼は、王女がこの鋏のために、どれほどの時間と、そしてどれほどの愛情を込めてくれたかを、すぐに理解した。
彼は、鋏を胸に抱きしめ、涙ぐんだ。
「殿下……この鋏は、私の誇りです。しかし、この刺繍は、私と祖母の誇りを、王家が認めてくださった証です。本当に、ありがとうございます」
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この話は、すぐに城下町に広まった。
王女が、高価な新品の道具ではなく、一介の職人の「古びた道具」と「歴史」を大切にした。その行為は、エルデンベルク王国の「民の幸福こそ、王の誇り」という理念を、目に見える形で体現していた。
ヨハンは、その日から、鋏を以前にも増して大切にした。そして、その鋏で仕立てる服には、以前よりも深い「温かさ」が加わったと評判になった。
シャルロッテは、小さな刺繍と魔法の力で、一人の職人の心と、地域社会の絆を温めたことに、最高の幸福を感じた。王女の心温まる人情噺は、城下町に、また一つ優しい光を灯したのだった。