第四百十七話「黒曜石の鏡と、姫殿下の『幸福への三つの暗示』」
その日の午後、王城の古い塔の一室では、奇妙な香と、薄暗い静寂に満ちていた。シャルロッテは、モフモフを抱き、ルードヴィヒ国王と王妃エレオノーラと共に、王国の未来を占う儀式に立ち会っていた。
部屋の中央には、宮廷の老占い師、シルヴェストルが、黒曜石の鏡の前に座していた。シルヴェストルは、長年、王家の運命を予知してきたが、その日、彼の顔は、かつてないほどの不安に曇っていた。
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シルヴェストルは、儀式を終えると、冷たい声で、シャルロッテの未来に影を落とす、三つの不穏なキーワードを告げた。
「陛下、王妃様。おそれながら、姫殿下の運命の鏡に、濃い影が見えます。これは、姫殿下を襲う、試練の暗示でございます。」
彼は、指を震わせながら、三つの言葉を口にした。
「壊れた針」: 永遠の愛と献身の象徴が、形を失い、未来の調和が崩れる。
「冷たいパン」: 豊かな恵みが、愛を失い、飢餓と孤独が訪れる。
「沈黙の鳥」: 歓喜の歌が止まり、世界は、絶望の静寂に覆われる。
宮廷の人々は、その不吉な予言にざわつき、王族の顔にも、不安の色が広がった。
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しかし、当のシャルロッテは、モフモフの毛皮に頬を寄せ、全く気にする様子がない。彼女の目には、その「不吉な影」が、「新しい愛の冒険」を知らせる、可愛い兆候のように映っていた。
「ねえ、シルヴェストルおじいさん。それって、不吉なことじゃないよ。可愛い遊びを教えてくれたんだよ!」
シャルロッテの無邪気な言葉に、シルヴェストルは戸惑った。
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シャルロッテは、儀式の部屋を出ると、その三つのキーワードを、「幸福への三つの愛の暗示」として、自らの日常に持ち込んだ。
【暗示 一:「壊れた針」の成就】
その日の午後、シャルロッテは、自分の居室に戻った。彼女は、王妃から新しいドレスの裾上げを頼まれていたが、針と糸を取り出す代わりに、静かにソファに横たわった。
「ねえ、モフモフ。壊れた針はね、『お裁縫を、もうおしまいにして、お昼寝しなさい』っていう、優しいおまじないだよ!」
彼女は、光属性と変化魔法を使い、針と糸を置いたまま、ごく微細な「安息の波動」を部屋全体に放出した。
数時間後、その部屋に、疲労困憊の専属メイド、エマが入ってきた。エマは、連日の過重労働で、倒れる寸前だった。エマは、姫様が針仕事をしていないことに安堵し、部屋全体に満ちる「安息の波動」に引き寄せられるように、床に座り込んだまま、深い眠りに落ちた。
エマが目を覚ましたのは、夕食の鐘が鳴る直前だった。エマは、短時間で得たとは思えないほどの深い安堵感と活力を感じ、感謝の涙を流した。シャルロッテの「壊れた針」は、「献身的な者への安息の贈り物」として成就したのだ。
【暗示 二:「冷たいパン」の成就】
翌日の朝、シャルロッテは、城下町の裏通りを散策していた。彼女は、モフモフを抱き、パン屋の近くを通りかかったとき、一人の貧しい旅人が、冷たいパンを一人寂しくかじっているのを見つけた。
「ねえ、モフモフ。冷たいパンはね、『早く、温かいスープを飲んでね』っていう、優しい招待状だよ!」
シャルロッテは、旅人に、王城の厨房で特注させた温かいスープを差し出した。旅人は、感激のあまり涙ぐみ、スープを飲み干した。
彼は、実は、隣国からの外交特使の密使であり、王城への接近ルートを探していたのだ。
旅人は、スープの温かさから、エルデンベルク王国の「温かい心」を肌で感じ、敵意を捨てた。彼は、王城に運ぶ予定だった「不穏な偽情報」を捨て、代わりに「隣国との真の和解」を求める、純粋な恋文のような外交文書を届けた。シャルロッテの「冷たいパン」は、「温かい和解の道標」として成就したのだ。
【暗示 三:「沈黙の鳥」の成就】
その日の午後、シャルロッテは、王城の屋根裏の古文書館で、一人の若い書士、シリルが、難解な古代の言語の文書を前に、頭を抱えているのを見つけた。文書の解読は、王国の歴史の謎を解く鍵だったが、あまりの難しさに、シリルは、静かな絶望に陥っていた。
「ねえ、モフモフ。沈黙の鳥はね、『誰にも邪魔されない、最高の秘密の遊びの時間』を、こっそり教えてくれたんだよ!」
シャルロッテは、シリルに、文書の解読を一時中断するよう促した。そして、ゆっくりと光属性と時間魔法を融合させた。
彼女の魔法は、屋根裏部屋全体に、「無音の静寂」という名の、「愛の防音壁」を創り出した。そして、その静寂の中で、シャルロッテは、ただモフモフを抱き、「無心」になって、パステルカラーの毛糸玉で遊び始めた。
シリルは、姫様の遊びの無邪気さに、論理的な思考を停止させた。その「無心」の瞬間、彼の頭の中に、文書の解読の「決定的な閃き」が、「無音の歌」として流れ込んできた。彼は、長年囚われていた「論理の鎖」から解放され、直感という名の真実を手に入れた。シャルロッテの「沈黙の鳥」は、「知性の飛躍」として成就したのだ。
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その日の夕方、シャルロッテは、国王と王妃の前で、シルヴェストルの予言がすべて成就したことを報告した。
「ね、シルヴェストルおじいさん! 三つの暗示は、全部、可愛いおまじないだったでしょう?」
シルヴェストルは、黒曜石の鏡を抱きしめ、涙ぐんだ。
「ああ、姫様。わたくしは、鏡の中に『試練』を見ました。しかし、姫様の愛は、その試練を、『幸福への愛の暗示』へと変貌させた。運命は、冷たい論理ではなく、愛の意志によって、最も優雅に描かれるのですね」
シャルロッテは、モフモフを抱き、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、不吉な予言よりも、愛という名の温かい暗示のほうが、絶対可愛いもん!」
その日の午後、王城は、シャルロッテの愛の哲学によって、「運命は、愛の意志によって、幸福へと書き換えられる」という、温かい真理に満たされたのだった。




