第四百九話「朝食前の『七秒間の空白』と、姫殿下の世界再構築」
その日の朝、王城の大食堂は、誰も気づかない、しかし決定的な異変に包まれていた。
ルードヴィヒ国王が椅子に座り、スープを一口飲むまでの間に、わずか七秒間の空白が発生したのだ。王族の誰も、その七秒間の記憶を持っていなかった。時間は、スムーズに流れ、異変はなかったかに見えた。
しかし、その日の朝食は、奇妙な「違和感」に満ちていた。
アルベルト王子のネクタイの結び目が、いつもより一ミリだけ緩んでいた。エレオノーラ王妃のハーブティーのカップから、微細な、しかし確かな水滴が、一つだけ、テーブルクロスの上に零れていた。そして、大食堂の天井の隅に、極めて薄い、パステルピンクの羽根が、そっと貼りついていた。
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そこに、王城の天文学者である若き研究者、レオナルドが、大食堂に駆け込んできた。彼は、時間を司る魔導具の管理も担当していた。
「大変です、国王陛下!今朝、魔導時計の観測記録に、七秒間の魔力的な記録の空白が確認されました!まるで、その七秒間だけ、時間が王城から切り取られたかのようなのです!」
レオナルドは、この現象を「時空の歪み」として恐れていた。彼は、このままでは、王国の時間の秩序が崩壊すると、顔を青くした。
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シャルロッテは、モフモフを抱き、その「七秒間の空白」の違和感を、楽しげに受け止めていた。彼女の目には、その空白が、「誰かの愛しい日常を守るための、優しい時間操作」であったことがすでにわかっていたからだ。
シャルロッテは、レオナルドに語りかけた。
「ねえ、レオナルドお兄さん。七秒間なんて、大したことないよ。七秒間なんてね、クロワッサンが一番美味しく焼けるための、秘密の時間だよ」
しかし、レオナルドは、シャルロッテの純粋さに耳を貸さなかった。
「とんでもございません、姫様!七秒間は、宇宙の秩序にとって、決定的な崩壊を意味します!あの時、王子のネクタイの緩み、王妃様の水滴、すべてが、時間の記憶の不整合を示しているのです!」
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シャルロッテは、レオナルドの論理を否定しなかった。その代わり、その「時間の空白」の真実の理由を、彼に優しく提示した。
彼女は、光属性と時間魔法を融合させた。
彼女の魔法は、レオナルドの心に、「七秒間の空白」の間に、実際に起こっていた出来事の記憶を、鮮明に再生させた。
朝食前、ルードヴィヒ国王が、椅子に座った際、古い椅子が折れそうになるという、ごく小さな事故が発生していた。国王は、大切な書類を持っていたため、椅子が折れ、書類がスープの中に落ちれば、王国の機密が台無しになるという、惨事が起こる寸前だった。
シャルロッテは、その七秒間を使って、椅子を土属性魔法で修復し、スープを元の位置に戻し、ネクタイと水滴という、ごく些細な「不完全さ」を、時間の記憶の歪みとして残すことで、王国の秩序と、愛しい家族の小さな笑顔を守り抜いていたのだ。
ネクタイの緩みは、修復の際の微細なミス。水滴は、スープを戻した際の微細な水の粒。天井の羽根は、シャルロッテの魔力に反応した、羽根枕の羽根だった。
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レオナルドは、再生された記憶の中で、七秒間の空白が、「愛しい日常を守るための、究極の献身」によって満たされていたことを知った。
レオナルドは、涙ぐんだ。
「姫様……! あなたの時間操作は、破壊ではなく、愛という名の再構築だったのですね!七秒間の空白は、王国の秩序を守るための、最高の愛の証でした!」
シャルロッテは、モフモフを抱き、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、王冠が落ちちゃうよりも、ネクタイがちょっと緩んでいるほうが、絶対可愛いもん!」
その日の朝、大食堂は、シャルロッテの愛の哲学によって、「時間の空白は、愛の献身によって満たされる」という、温かい真理に満たされたのだった。




