第三百八十五話「雪解け水の透明な音色と、笛を吹く盲目の娘」
その日の午後、王城の庭園は、春の兆しを待つ静寂に包まれていた。冬の間に積もった雪は溶け始め、芝生の上を、ごく細い水の流れが、無数の銀色の筋となって、音もなく滑っていく。その水の透明さは、冬の空の記憶を映し出すかのようだった。
シャルロッテは、モフモフを抱き、溶けかけの雪が残る石畳の小道に立っていた。彼女の銀色の巻き髪は、太陽の淡い光を浴びて、雪解け水と同じ、儚い輝きを放っていた。
「ねえ、モフモフ。この水、なんだか、すごく冷たい匂いがするね。でも、とても優しい」
シャルロッテは、モフモフの毛皮に顔を埋め、周囲の冷たさと、その中に潜む静かな生命の温もりを感じていた。
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庭園の奥、古びた白樺の木の根元から、微かな音色が響いてきた。それは、楽団の演奏のような華やかさではない、竹でできた素朴な横笛の音だった。音色は、雪解け水の流れのように、静かで、途切れがちで、しかし、どこか切実な情念を帯びていた。
シャルロッテは、その音の源へと、そっと足を進めた。
そこに座っていたのは、白い木綿の衣服を纏った、若い娘だった。彼女の名は、リコ。その眼差しは、空の光を捉えてはおらず、瞳は静かに閉じられていた。彼女は、生まれつき、この世界の色彩を見たことがない盲目の笛吹きだった。
リコは、笛を吹きながら、時折、その指先を地面に這わせ、雪解け水の冷たさを感じ取っていた。彼女の音楽は、「光の不在」という孤独と、「水の流れ」という、耳で感じる世界の流転を、交錯させていた。
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シャルロッテは、リコの背後に、音もなく立ち、その笛の音に耳を澄ませた。彼女の心には、リコの音楽が、「視覚という感覚を失った代わりに、聴覚と触覚で世界の美しさを再構築しようとする、静かで、しかし激しい探求の情熱」を奏でているのが聞こえた。
シャルロッテは、リコに、言葉をかけることはしなかった。彼女の音楽が持つ、完全な自己完結性を、外部の言葉で乱すことは、愛ではないと感じたからだ。
その代わり、シャルロッテは、光属性と風属性の魔法を、ごく微細に応用した。
彼女の魔法は、笛の音色を操作するのではない。その代わりに、庭園の雪解け水の流れ全てを、リコの笛の音の「旋律」に合わせて、動かした。
笛の音符が、静かに上へ昇る時、水は白樺の幹を、微細な滴となって滑り上がった。音符が、深い哀愁を帯びる時、水は苔の生えた石畳の隙間に、一瞬、溜まり、静止した。
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リコは、その水の流れの微細な変化に、気づいた。彼女の笛の音色が、水の流れと、完璧に、優雅に共鳴している。水が、自分の音楽に、答えている。それは、彼女の孤独な探求が、「世界という名の聴衆」に、初めて認められた瞬間だった。
リコの閉じた瞳から、一筋の温かい涙が流れ、雪解け水に吸い込まれていった。その涙は、哀しみではなく、「世界との深遠な共感」という、魂の喜びの光だった。
リコは、笛の演奏を終え、静かに、しかし確かな声で言った。
「あなたは、そこにいますね。ありがとうございます。あなたがどなたかは存じませぬが、あなたのその優しさで、私の音楽は、初めて、世界と対話できました」
シャルロッテは、モフモフを抱きしめ、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、あなたの音楽はね、雪解け水の流れと同じくらい、とても優しくて、美しいものだもん!」
その日の午後、庭園は、雪解け水と笛の音が織りなす「愛の共感」という、静謐で、美しい旋律に満たされた。リコの音楽は、シャルロッテの愛によって、「孤独な探求」から「世界との愛の対話」へと昇華したのだった。




