第三十八話「深夜のクリームスープと、遠い場所の温もり」
その夜、王城は深い静けさに沈んでいた。外は、真夜中特有の、すべてを曖昧にするような、薄い霧に包まれている。
シャルロッテは、ふと目が覚めた。
天蓋付きのベッドで寝返りを打つが、なぜか無性に温かいクリームスープが飲みたくなった。それは、言葉にできない、漠然とした切なさを埋めるための、何か温かいものが必要な感覚だった。
モフモフを抱き、ローブを羽織って大食堂の厨房へと向かう。誰もいないはずの厨房には、小さなランプが灯り、微かな物音がしていた。
中を覗くと、専属メイドのエマが一人、静かにクリームスープを作っている。エマの表情は、いつもの明るい笑顔ではなく、どこか切なさと憂いを帯びていた。
「エマ……どうしたの? こんな時間に」
エマは、驚いて振り返った。
「シャル様! いけません、こんな時間に!」
そう言った後、エマはバツが悪そうに下を向いた。
「……いえ、実は今日が、亡くなった母の命日でして。母が好きだった、このクリームスープを無性に作りたくなったのです」
厨房には、玉ねぎとバターが溶け合う、優しくて温かい香りが満ちていた。静かだが、切ない空気が漂っている。
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シャルロッテは、そのクリームスープの香りを嗅いだ瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
それは、前世で唯一、厳格な家庭の中で、祖母がこっそり作ってくれたスープの香りと、不思議なほど似ていた。祖母のスープは、彼女が「跡取り」という重圧から逃れられる、唯一の秘密の温もりだった。
シャルロッテは、エマのスープの中に、エマの亡き母への「温かい記憶」と「喪失の切なさ」が、優しく溶け込んでいることを、感覚的に理解した。
彼女は、エマに何も聞かずに、ただ隣に座り、スープを一口もらった。舌の上で溶ける温かさが、エマの切ない感情をそのまま伝えてくるようだった。
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シャルロッテは、そっと手のひらをスープの湯気に向けた。そして、自分の虹色の魔力(ごく優しい治癒と光)を湯気に込めた。
湯気は、一瞬、七色の光を放った後、静かにスープ全体に溶け込んでいく。その光は、亡き人への切なさを消し去るのではなく、「その切ない記憶を、温かい光として大切に包み込む」という癒やしをもたらした。
エマは、娘のようなシャルロッテと、亡き母のスープを分かち合うことで、孤独な夜の切なさから解放された。彼女の心の中で、母の思い出が、切ないものから、温かく肯定されたものへと変わっていくのを感じた。
エマは、そっと涙を拭い、微笑んだ。
「シャル様、本当に、このスープは優しい味がします。こんなに温かいスープは、初めてです」
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二人は、誰もいない大食堂の片隅で、静かにスープを飲み干した。スープは、エマの孤独な夜を、シャルロッテの愛という温かい光で包み込んだ。
翌朝、大食堂に朝食を取りに来たルードヴィヒ国王は、厨房から漂う、わずかなスープの香りを吸い込んだ。
「うむ。なんて、優しくて温かい朝の香りだ。今日は、良い日になりそうだ」
国王は、深い安堵感を覚えた。
シャルロッテは、スープという食べ物と、自分の「光の魔法」を使って、エマの孤独な夜をそっと包み込んだ。彼女は、この世界における愛と癒やしが、言葉ではなく、食べ物や光といった、ごく日常の小さな温もりの中に存在することを知ったのだった。