第三百一話「外交交渉の密室と、姫殿下の『信頼の連鎖』の論理」
その日の午後、王城の密室の会議室は、極度の緊張に包まれていた。アルベルト王子は、隣国の強硬な外交官であるバルカス公爵と、「協力すれば共に利益、裏切れば片方が大損」という、極めて不利な条件の協定を巡り、最終交渉に挑んでいた。
論理的には、「相手が裏切ることを前提に、こちらも裏切る」という選択が、自己保身のための最も安全な策だった。アルベルト王子は、長年の外交の経験から、「信頼とは幻想であり、裏切りこそが現実である」という、冷たい結論を出し始めていた。
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シャルロッテ姫殿下は、モフモフを抱き、別室の監視室から、兄の苦悩を感知していた。
「ねえ、モフモフ。兄様は、悲しい論理に、囚われてるよ」
シャルロッテ姫殿下は、「裏切り」という冷たい論理を、「愛」という温かい論理で打ち破ることを決意した。
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シャルロッテ姫殿下は、休憩時間を利用し、アルベルト王子に、光属性と共感魔法を応用した。
彼女の魔法は、アルベルト王子の心に、「相手の裏切りを疑う、冷たい論理」ではなく、「相手を信じた時の、最高の幸福感」という、純粋な感情を、鮮明に体感させた。
「ね、兄様。裏切るのって、全然可愛くないよ。相手を信頼した方が、心が、一番ポカポカするでしょう?」
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そして、シャルロッテ姫殿下は、隣国の外交官にも、秘密の魔法をかけた。
彼女は、外交官が持っていた、母国に残した娘からの手紙に、時間魔法と光属性魔法を融合させた。
彼女の魔法は、手紙に、「相手の王子は、あなたの信頼を待っている」という、愛の波動を、静かに送り込んだ。
外交官は、休憩中、その手紙を読み、「娘の無邪気な愛」と、「協定の相手である王子の信頼を裏切る罪悪感」という、二つの感情の激しい対立に直面していた。
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会議室の空気は、張り詰めた剣の刃のように冷たかった。長時間の交渉の末、アルベルト王子と隣国フレデリア公国の首席外交官・バルカス公爵は、協定の最もリスクの高い最終条項を前に、向かい合っていた。
条項は、「協力すれば両国に多大な利益、裏切れば裏切った国だけが利益を得て、相手国は壊滅的な損害」という、究極の「囚人のジレンマ」の構造を外交的に再現したものだった。
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バルカス公爵は、王国の情勢を熟知していた。彼は、アルベルト王子が、国内の派閥争いの弱点を隠していることを知っていた。
バルカス公爵は、「我々が貴国を裏切らない確証はない。貴国は、我々を信用できるか?」と、冷酷な問いを投げかけた。その言葉の裏には、「我々は既に裏切る準備ができている。先に裏切らねば、貴国が滅びるぞ」という、強烈な威嚇と権謀術数が隠されていた。
論理と現実主義に従えば、アルベルト王子は、王国の利益を守るため、躊躇なく相手を裏切り、条約を破棄すべきだった。アルベルトの指先は、条約破棄の文書に置かれたまま、微かに震えていた。
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その時、アルベルト王子の脳裏に、妹シャルロッテ姫殿下の言葉が蘇った。
「相手を信頼した方が、心が、一番ポカポカするでしょう?」。
そして、彼の胸元は、妹の魔法が手紙に込めた「信頼の波動」で、熱く輝いた。
アルベルト王子は、条約破棄の文書から手を離した。そして、静かに、バルカス公爵の目をまっすぐ見つめた。
「バルカス公爵。貴国は、我々を信じられぬかもしれぬ。しかし、私は、貴国を信頼する。エルデンベルク王国は、論理的な裏切りという冷たい打算は選ばない。我が国の提示する最終条件は、『我々の利益の半分を、貴国の国土復興のために譲る』ことだ」
この提案は、王国の利益を大きく譲歩し、相手の善意に全てを賭けるという、常識では考えられない、純粋な信頼の提示だった。
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その瞬間、バルカス公爵は、顔色を変えた。彼が用意していた「裏切りの論理」は、「無償の愛と献身」という、予測不能な力によって、完全に無効化されたからだ。
彼は、アルベルト王子の真摯な言葉と、手紙から受け取った「信頼の波動」、そして王子の瞳に宿る「見返りを求めない愛の光」に、心を動かされた。そして彼の脳裏に、あの、愛に満ちた娘からの手紙がよぎった。結果、彼は、自己の利益を捨てるという、非論理的な選択をしたのだった。
バルカス公爵は、書類を強く握りしめ、裏切りの文書を破り捨てた。
「アルベルト王子。私は、貴国の真の強さを、目の当たりにしました。我々フレデリア公国は、貴国を裏切りません。貴国の愛と信頼は、我々の国家再建の最高の礎となるでしょう!」
協定は、「双方の最大の利益」という、論理の限界を超えた、最高の成果をもって締結された。権謀術数が支配する外交の場で、シャルロッテ姫殿下の純粋な愛と信頼の波動が、最も優位な戦略として、冷たい論理を打ち破ったのだ。
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アルベルト王子は、妹を抱きしめ、心から感謝した。
「シャル。君は、囚人のジレンマの最適解は、『愛の無条件の信頼』である知っていたのだな」
シャルは、モフモフを抱き、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、みんなが一緒に笑うのが、一番可愛いんだもん!」
シャルの笑顔が今日もみなを眩しく照らしたのだった。




